最後の歌唱
1994年12月31日、タイ・チェンマイで宿泊中のインペリアルメイピンホテルにて、歌ってほしいと頼まれ、『時の流れに身をまかせ』を歌おうとしたがバンドが楽譜を持っておらず『梅花』を歌ったようです。
以下の記事に詳細が書かれています。
名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第21回はテレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」です。テレサさんは男女にまつわる切ない思いを、哀愁あふれる歌声で表現し、「アジアの歌姫」と呼ばれました。中でも同曲は、売り上げ200万枚を超える大ヒットとなりました。42歳の若さで亡くなったテレサさんが、最後に歌った曲かも知れないという伝説に迫る秘話です。
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1994年(平6)12月31日午後11時半すぎ、満員の観客と全国の視聴者が見守る中、第45回NHK紅白歌合戦は、クライマックスを迎えていた。大トリは、都はるみの「古都逍遙」。94年に別れを告げる最後の熱唱が、今まさに始まろうとしていた。
同時刻、タイのチェンマイにあるメイプルホテル*のレストランバーに、新年を祝おうとする宿泊客や従業員が、三々五々集まり始めた。楽団が軽快な音楽を演奏し、年越しムードを盛り上げていた。ホテルの支配人が、バーの一角で独りたたずむ女性を見つけた。テレサ・テンさんだった。気管支ぜんそくを患い、お忍びの保養だったが、どうしたって“アジアの歌姫”は、目立ってしまった。
支配人が思わず声を掛けた。「ぜひ一曲歌ってください」。むちゃな依頼に、一瞬戸惑いを見せたテレサさんも思案したあげく「それでは『時の流れに身をまかせ』を歌いましょうか」と応じた。
ところが運悪く、演奏する楽団に「時の流れに身をまかせ」の譜面がなく、テレサは仕方なく曲を変え、台湾でおなじみの曲「梅の花(メイファー)」を歌った。それでも、宿泊客も従業員も大喜びで、その歌を聴きながら、新年を迎えるという、ぜいたくで最高の年越しとなった。
テレサさんはそれ以降、公の場で1曲も歌わず、95年5月8日、くしくも同じホテルで、気管支ぜんそくのため急死した。「梅の花」が最後の歌唱となってしまった。しかし、当時テレサが望んだのは「時の流れに身をまかせ」だった。この歌がラストソングになるはずだった。テレサさんと親しく、ラストソングの状況を最初に取材し、伝記に執筆する予定だったジャーナリスト有田芳生さんは言った。「その時、テレサさんは、当然自分の最後の曲だと思って『時の流れに身をまかせ』を歌いたいと言ったわけじゃない。あくまでも、今から思えばの話。でも歌を心から好きだったのは間違いないでしょう」と話す。
当時所属していたトーラスレコードの制作本部長だった根岸徹さんは「テレサさんはいわば国際難民で、激動の人生を生きた。どういう気持ちで、あの時『時の流れに身をまかせ』を歌いたいと言ったのか、今思うと、それは運命だったのかもしれない」と言う。
テレサさんの父は蒋介石率いる国民党の軍人で、1949年(昭24)に一家で台湾に渡った。テレサさんの夢は、故郷(中国)に立つことだった。ところが、1989年(平元)6月に天安門事件が起こり、その際には、民主化運動を支援する闘士として活動した。大好きで住んでいた香港が1997年に中国に返還されることが決まると、フランス・パリに移り住んだ。どうすることもできない運命の渦に巻き込まれていった。
「時の流れに身をまかせ」を作詞した荒木とよひささんは「最後の歌だったとは、初耳です」と驚いた。荒木さんは「あの歌は『もしも違う人生があったら』『人は生まれて、どこにいくのか』という人間にとって永遠のテーマを書いたものだった。当時もう彼女に『もし』はない。テレサさんは、テーマの中にすっぽり入ってしまったような気がする」と振り返った。
テレサさんは、1994年3月に、「家族で選ぶにっぽんの歌」、同10月に「歌謡チャリティー・コンサート」と、ともにNHKの番組に出演するために来日した。理由があった。「戦後50年」をテーマとしたNHK紅白歌合戦のステージに立ちたいと願っていたからだ。
根岸さんは当時を「天安門事件の悲しみから何とか立ち直り、テレサさんも『紅白はやっぱり楽しい』と言うほど元気を回復していた」という。根岸さんらも積極的にNHKに接触したが、結局、紅白出場は果たせなかった。もし出場していたら、当然ながら、歌う曲は「時の流れに身をまかせ」を選んでいたはずだった。
紙吹雪が舞い、ペンライトの光が揺れ、「蛍の光」の大合唱で幕を下ろす紅白歌合戦。テレサさんは、まさにその同時刻、異国のホテルのステージでは、自らの運命と紅白に思いをはせた上で、「時の流れに身をまかせ」を歌いたかったのかもしれない。【特別取材班】
※この記事は96年11月25日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。
ただし、上の文中、「メイプルホテル*」とあるのは、「インペリアルメイピンホテル」の間違いです。また、太字は、当サイト管理者に依ります。
人前での歌唱はこれが最後となったようです。
数ヶ月後に、同じインペリアルメイピンホテルで倒れ、42年の生涯を閉じることとなりました。