テレサ・テン-高木 ブー-豊岡 豊

 「テレサ・テンと高木 ブー」「テレサ・テンと豊岡 豊とよおか ゆたか」というそれぞれの組み合わせでは、テレビ番組やステージでの組み合わせで見る(聞く)ことはありますが、実は「高木ブーと豊岡 豊」も関係がありました。

高木 ブー

(写真:2018年/85歳)

 テレサ・テンの日本デビュー後、歌番組よりも多く出演したのではないかと思われるのがドリフターズの番組やステージです。コントなどに加わるのは、歌手・テレサ・テン本人も不本意であったでしょう、ドリフターズも恐らくそれを承知しつつも、背に腹は代えられぬと、日本人にテレビなどを通してテレサ・テンの存在を日本人に知らせるために、繰り返し出演させていたものと思われます。特に高木 ブーはテレサ・テンと親交が深く、テレサ・テンは高木の家族ともつきあいがありました。

豊岡 豊

(写真:2010年10月16日)

 一方、1976年ころ、ルイードで演奏をしたのが、豊岡豊とスイング・フェイスでした。

 1976年7月10日のライブでは「at ルイード」としてCDになっており、「ジャンバラヤ」の歌唱とそれに伴うフルートの演奏を始める直前、二人が
「ねえ、豊岡さん。ちょっと低いだった、どうする?」
「(豊岡の返答)」
「もっと上げる。はい、どうもすいません。」
「(豊岡の返答)」
「どうもすいません。本当に優しいの人ですねぇ。あ、違った。親切の人ね」
と言うやりとりをしたことが記録されています。

 また、テレサ・テンの最初の第36回紅白歌合戦(1985年)出場の際に、ステージでの演奏をしていたのも豊岡豊とスイング・フェイスでした。

 他に、新宿音楽祭での伴奏もしました。
 2012年逝去、享年82。

高木ブーと豊岡 豊

 それぞれが、別々にテレサ・テンと活動をしていたように思えますが、ドリフターズのメンバー入れ替えに関して、高木が次のような話をしています。

サザンの桑田が入ってたかもしれない 
―― 高木さんは、ドリフを辞めたいって思ったことはあるんですか? 
高木 ないです、ないです。すわ親治には申し訳ないけど(笑)。  
―― 幻のメンバーですね(笑)。最近のテレビ番組で、加藤さんが「長さんは豊岡豊って人を入れようとしてた」と証言されていましたが……。  
高木 ええ、知ってましたよ。ドリフは営業の仕事もいっぱいしてたんだけど、5人じゃできないんですよ。いつも後ろにフルバンドがつくんです。それが、「豊岡豊とスイング・フェイス」ってバンド。お笑いが好きな人で、ジョーク豊岡とか言ってましたね。  
―― なるほど、一緒に活動してたんですね。いかりやさんとは同年代の方ですか? 
高木 そうそう。荒井注がいなくなってからは、タクシーに分乗するとき、僕が前に乗って、後ろにいかりやさんと豊岡が座るの。僕はいつも年寄り組だから。 
―― 豊岡さんが入っていたら、全然違ってたでしょうね。 
高木 そうだね。ずっと後になるけど、サザンの桑田が入ってたかもしれないし。 
―― 桑田佳祐さんのことは、いかりやさんが目をつけてたと聞いたことがあるんですが、本当だったんですか。 
 高木 桑田が入ったら、まただいぶ違っただろうなあ。

http://bunshun.jp/articles/-/8306?page=3

 「豊岡豊とスイング・フェイス」の当初の名称「豊岡豊とジョークエリントン」が示すように、ドリフターズと同様にコミックバンドとしての性格を持ってスタートしていました。

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Posted by teresateng