フィリピン・マニラでのコンサート1983年
複数の動画に添えられたデータによると、1983年10月15日・16日にフィリピン・マニラでコンサートを行ったようです。裏付ける資料が少なくて十分な確認はできていませんが、以下の通りと思われます。
- 10月15日 菲律賓國際會議中心(Philippine International Convention Center/フィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター=PICC)
- 10月16日 馬尼拉大飯店(Manila Grand Hotel/マニラ・グランド・ホテル)の大型ナイトクラブ) チャリティー・イベントか
確認される曲目は、『絲絲小雨(日本語原曲『港町』)』『What a Feeling』『襟裳岬』『原郷人』そして『情人的眼泪』ですが、2日とも歌ったのか、またどんな順で歌ったのかは分かりません。『情人的眼泪』は、リクエストによるもので2日目だったと思われます。
10月15日
「【铿锵有劲】丝丝小雨爆雨版 / 邓丽君马尼拉演唱会 / 1983.10.15」のタイトルの映像です。日本語原曲は『港町』です。
そして、「【核级跳针式高能】邓丽君秀25秒超长花式飙音 / What a feeling / 马尼拉演唱会1983.10.15」のタイトルのある映像です。映画Flash Danceの"What a Feeling"を歌唱しています。
歌唱の後、ステージのメンバーの紹介をします。最初にフィリピンのメンバーを紹介し、その他、指揮が渡辺茂樹で他のメンバーやコーラスも日本から参加していることを説明しています。
同じく、『What a Feeling』の映像です。
この映像には、次のコメントが添えられています。
Live performance on October 15, 16, 1983 at 菲律賓國際會議中心及馬尼拉大飯店 Philippine International Convention Center and Manila Grand Hotel. Later in the same year, she also performed her own flash dance while singing this song at her 1983 (December 29) concert at Hong Kong Coliseum.
「【襟裳岬/邓丽君】开大绝!示范不换气切换双语 / 马尼拉演唱会1983.10.15」のタイトルの映像です。『襟裳岬』を日本語・中国語で歌っています。
「【襟裳岬第2音源】邓丽君 / 不换气连音密技连发! / 马尼拉演唱会1983.10.15」のタイトルのある映像です。ノイズがぐっと減っていますが不自然な音になっていて、フィルターをかけてノイズの少ない音声を作り、音声を差し替えたものと思われます。
「远处收音版 – 邓丽君 原乡人 马尼拉演唱会 1983. 10. 15」のタイトルの映像です。
10月16日
「邓丽君 – 情人的眼泪(菲律宾马尼拉大酒店演出 1983.10.16)」のタイトルのある映像です。
「1983.10.16」の日付けと「菲律宾马尼拉大酒店」が間違いでなければ、このコンサートが15日と16日の2日行われ、そして、16日は、马尼拉大酒店(=馬尼拉大飯店 Manila Grand Hotel)を会場としたことになります。
一方、こちらの映像には「邓丽君 情人的眼泪 1983 live 马尼拉演唱会」というタイトルが付けられていますが、日付けが含まれていません。
この映像には、次のコメントが添えられています。
1983年10月15、16日,邓丽君在菲律宾国际会议中心及一间大型夜总会(马尼拉大饭店)演出,其中一天更为当地一间慈善机构筹款。演出期间,马尼拉大饭店的老板因独钟「情人的眼泪」而临时向她点唱了这首歌,但当地乐队不熟,决定用清唱诠释,成为她对这首歌唯一一次的演出,在全场静默中,这个特别的演唱在几乎没有伴奏下美的格外凛然。
DeepLによる翻訳です。「恋人の涙」となっていますが、これが映像の『情人的眼泪』を指しています。わずかにギターの音が聞こえますが、アカペラで歌うことになったようです。
1983年10月15日と16日、テレサ・テンはフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)と大型ナイトクラブ(マニラ・グランド・ホテル)で公演を行ったが、そのうちの1日は地元のチャリティのための募金イベントだった。 公演中、マニラ・グランド・ホテルのオーナーから「恋人の涙」を即興で注文されたが、地元のバンドはこの曲に馴染みがなかったため、彼女はオラトリオで歌うことにし、これが彼女の唯一の演奏となった。静まり返った観客の中で、ほとんど伴奏のないこの特別な演奏はひときわ美しかった。
コメント中の「其中一天=そのうちの1日」は、2日間の2日目、10月16日のことと思われます。
同じく、『情人的眼泪』を含む映像ですが、歌唱前後のリクエストや花束をもらうシーンもあります。
次のFacebookの映像は、『原郷人』で始まり、次に『What a Feeling』、そしてその後ミュージシャンの紹介と続く全部で22分のものです。ミュージシャンの紹介の後、画面左の「1983.10.15」という日付けが添えられているにも関わらず、紙面によるリクエストを受けて最後に『情人的眼泪』を歌います。
会場からのリクエストで行われ、しかも、指揮の渡辺茂樹が「演奏できない」というそぶりをして、テレサ・テンがアカペラで歌います。「マニラ・グランド・ホテルのオーナーが『情人的眼泪』をその場でリクエストした」という説明も別にあり、これが2回繰り返すことはありませんので、これは2日目の16日に、マニラ・グランド・ホテルでの様子と考えられます。
ただし、その前の『原郷人』『Flash Dance』の映像が15日のものなのか、16日のものなのかが分かりません。コスチュームも全て同じですので、他の映像でも、同じ疑問が持たれます。
二つの不安
Facebookの投稿コメントで、このコンサートに関してのテレサ・テンの「不安なこと」に触れたものがあります。
1983年10月、テレサ・テンは香港のマネージャー林振業とマニラのコンサートの祝賀会で撮影されました。
当時、テレサ・テンには二つの大きな懸念がありました。
一つはフィリピンで政変が起こり、出入りには警察の保護が必要で、契約を結んだ以上、反悔できず、仕方なくステージに立たなければならなかったこと。
もう一つは体型を維持するため、コンサートが無事に終わっても、祝賀会で思い切り食べることができなかったことです。翻訳:kagi.com
1983年10月,鄧麗君與香港經紀人林振業攝於馬尼拉演唱會的祝捷會,當時鄧麗君有兩大憂慮,一是菲律賓發生政暴,出入都需要警察保護,簽了約又不能反悔,唯有硬著頭皮上塲,二是為了保持身材,就算演唱會圓滿落幕,在慶功宴上也不敢大快朵頤。