私の気持ちを本当に理解してくれる人たちの前で歌いたかった

決して時の流れに身をまかせようとせず
「民主中国」を心から願っていた
テレサ・テンの
早すぎた死。

だ信じられない。「空港」「つぐない」などの大ヒットで僕らを魅了した台湾人歌手テレサ・テンが8日夕刻、旅行先のタイ国チェンマイのホテルで気管支喘息の発作を起こし急死した。 まだ42歳、痛恨のきわみだ。
 ’89年、あの天安門事件の直後に、記者は香港でテレサにインタビューした。「学生たちが軍隊に殺される悲惨な光景をTVで見たとき、胸の底から憤りを感じました。 絶対に許せない!と」中国の民主化につながる経済解放政策に彼女は希望の光を見ていた。 両親が大陸生まれで自分は中国人だと強く意識していただけに 「夢を壊された」としきりに訴えた。 何度かリクエストされながら、スケジュールの都合で延びていた中国公演が実現する日を待ちわびていたのだ。
 「私が一番うまく歌えるのは北京語なのに、日本で日本語の歌を歌ってるだけでは寂しい。 私の気持ちを本当に理解してくれる人たちの前で歌いたかった。殺されたって私は怖くない。 学生たちの死に抗議する私に何か起これば、自由を愛する何千万もの民衆や私のファンが、立ち上がってくれるでしょう」
 人権を守るために戦い、あらゆる国のTV、ラジオで民主化を訴え、歌を武器に歌い続けたい。それは老鄧(鄧小平)のブラッディ・マーダーに対する小鄧(鄧麗君、テレサの中国名)の宣戦布告だったが、将来は杭州で暮らしたいという願いも、 中国の変化を見ることもなく、彼女は謎めいた死を遂げた。

(上写真キャプション)’89年、インタビューの際にもらった
サイン。彼女の願いが込められていた

(中写真キャプション)’89年、天安門広場に建った民主の女神像

(下写真キャプション)本誌グラビアに登場jしてくれた若かりし日のテレサ

「週刊プレイボーイ」1995年5月30日号

1980,1990,Articles,Words

Posted by teresateng