テレサの本領を知るには中国語の歌を聞くべきだ (中村とうよう)
「永遠の歌声~テレサ・テン Vol.2 ~中国語曲のすべて」のライナーノートとして掲載された、「テレサの本領を知るには中国語の歌を聞くべきだ」と題する中村とうよう氏の文章の前半(pp.9-11)、テレサ・テンの紹介とCD編集に関することがら)です。
テレサの本領を知るには中国語の歌を聞くべきだ
「永遠の歌声~テレサ・テン Vol.2 ~中国語曲のすべて」
●中村とうよう(音楽評論家)
今から20年余り前、ひとりの女性歌手が台湾から日本にやってきた。テレサ・テン。ちょうどハタチだったはずだが、可愛い丸顔はせいぜい16か17にしか見えなかった。その子供っぽい見かけとは反対に、歌は実にうまかった。日本のポリドールと契約し、第2弾の「空港」を皮切りに、次々とヒットを放ち、たちまち人気スターとなった。
それ以来、1995年5月に42歳の若さで急逝するまで、大多数の日本人は、テレサを余りにも身近に感じて親しんでいたので、彼女が台湾生まれの中国人であることを、ともすれば忘れがちになった。死去の報道のなかで、故国台湾での国葬級の扱いが伝えられたり、さまざまな形でテレサの生涯が紹介されるのに触れて、彼女が中国系の人々のあいだでいかに大きな存在だったかを初めて知った日本人が、多かったはずである。遅ればせながらこうして、テレサテンという偉大な歌手の全体像が、徐々にイメージを広げつつあるのは、まずまず不幸中のさいわいと言っていいだろう。
テレサがこれまで考えられていたのよりも遙かにスケールの大きな国際的スターであることを知った方々には、ぜひ彼女の歌う中国語の歌を聞いていただきたい。テレサってそんなに偉大な歌手だったのか、と認識を新たにされたならば、それを単なる知識のままにしておくのでなく、それぞれが彼女の中国語の歌を聞くことで自ら確認し、かつ彼女のすばらしい中国語ソングを味わい、楽しんでほしい。もう彼女の新しい録音を聞くことは不可能になったのだから、せめてこれまで余り知られないままになっていた過去の中国語ソングでも聞くしかない。それらを埋もれさせておくのはモッタイない。
彼女の中国語の歌はトーラス・レコードからも発売されているが、このポリドールの3枚組は、ういういしさを残しながらも急速に歌唱力を伸ばしていった1970年代後半のテレサの名唱が集められていて、テレサの中国語ソングをタップリ味わうことができる。ぜ
ひお楽しみいただきたい。
テレサの中国語ソングにも、大きく言って2種類ある。①=台湾や香港で作られた本来のチャイニーズ・ソング、②=日本の歌を中国語に翻訳したもの、である。後者の②はさらに2種類に分けられる。②A=テレサ自身の日本語オリジナルに中国語の歌詞を付けたもの、②B=他の日本人歌手のヒット曲に中国語の歌を付けたもの、だ。
テレサは14歳で台湾の小さなレコード会社からデビューした。もちろん歌った曲はすべて1に当たるチャイニーズ・ソングだった。間もなく出した2枚目のLPで、早くも「こんにちは赤ちゃん」を中国の歌詞で歌っている。これが②Bの始まりだ。ただしこれはレコードに関しての話で、歌手デビューするよりずっと前のごく小さかった頃から「リンゴ追分」などはよく歌っていたのだそうだ。日本の歌だけでなく、アメリカのヒット曲やラテンの有名曲なんかも幅広く歌っていた。要するに、どんな人でも好きで、片っ端から歌っていたらしい。だから日本の歌についても、特に日本の歌と意識してではなく、最初は、たまたま聞いて気に入った曲を歌った、ということだったのだろう。
しかし、レコード歌手としてたちまち人気が出て、次々にLPを録音するようになり、おそらく会社側から、今度はこの曲を歌ってみろ、といった注文がつくようになったに違いない。彼女は歌に対する熱意と若さのエネルギーで、そんな注文を次々にクリアーし、周囲の期待以上の成長ぶりを見せる。そんななかで日本の歌も、ロックンロールから演歌までなんでも歌いこなしてしまう。「港町ブルース」や「長崎は今日も雨だった」は、すでに十代なかばで最初のレコード会社に録音していた。
そのようにして若さに似合わないほどの歌唱力を身につけたテレサは、20歳のとき日本のポリドールと契約する。日本でのデビューはその翌年(1974年)、21歳になってからだが、これ以来、彼女は彼女のために作られた日本語オリジナルの歌謡曲を歌い始めるわけである。そして間もなく、そうした自分のヒット歌謡曲や他の歌手のヒット曲を中国語の歌詞でレコーディングし始る。これが先に挙げた分類の②に相当
するわけだが、もちろんそれは、台湾、香港、東南アジアなど広い範囲に存在する中国系のテレサ・ファンのためのレコーディングであって、主に香港ポリグラムから『島国之情歌』というタイトルのLPのシリーズとして次々に発売され、大好評を博していった。もちろん島国というのが日本のことだ。このシリーズはいまはCD化されて、相変わらず売れ続けている。
日本語の歌謡曲を歌うテレサしかご存じなかった多くの方々のために、それとは別のテレサのレコードについて知っていただきたくて、あれこれと説明が長くなってしまった。1974年から約10年間の日本ポリドール専属時代におけるテレサの日本語による録音は、すでに『永遠の歌声~オリジナル曲のすべて』と題した3枚組CDにまとめて発売したので、今回は同じくポリドール時代の中国語のレコーディングを2枚のCDにまとめ、1982年の香港でのコンサートのライヴ録音を1枚のCDとし、この3枚をセットに組むことで、ポリドール時代の彼女の全貌がつかめるようにした。
最初の2枚それぞれの冒頭には、先程の分類の①にあたる本米の中国系の歌が少し入れてある。第1集の1から3までと第2集の1から4までが、それだ。この合計7曲が日本ポリドールに残されたテレサの中国系歌曲の全録音なのである。ひとまとめにせず2枚に分けて入れたのは、CDに収録できる時間的な制約によるものだ。というのは、ポリドールには、②A=テレサ自身の日本でのヒット曲の中国語録音、②B=ほかの日本人歌手のヒット曲のテレサによる中国語録音が、それぞれ17曲ずつあって、②Aを第1集、②Bを第2集に収めると、曲の時間的長さの関係で、①を第1集に3曲、第2集に4曲と振り分けるとちょうど2枚のCDがいっぱいになったのである。
また、第3集は、先程も触れた1982年のライヴが、当時、香港では2枚組のLPで、日本ポリドールからは長時間のカセット.テープで発売していたが、今回は1枚のCDに収録するため、おなじみの薄い曲5曲ばかりをカットせざるを得なかった。これもCDの収録可能時間ギリギリになっている。ご了承いただきたい。
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