銀座メイツでライブ(1974年~)
ライブハウス
「コンサート」とは言えない規模の、ライブハウスの活動は「新宿ルイード」が知られているが、渡辺プロダクション直営のライブハウス「銀座メイツ」でも歌っていた。
下のテレビ番組映像では、「これはデビュー当時のテレサが歌っていたライブハウス、銀座メイツがあった場所。名前は変わったが現在もライブハウスとして営業している。歌手の山崎イサオ。当時、司会者として若きテレサとステージを共にしている。」というナレーションがある。
「デビュー当時」ということは、1975年ころに、銀座メイツで歌っていたことになる。
また、日本国内での、コンサート(ライブ)はルイードでのライブを最初とする記述を見かけることが多いが、篠木雅博氏は次のように述べている。
「空港」の発表1974年7月1日以前のことということになり、1976年7月10日以降の新宿ルイード以前に銀座メイツで歌っていたという裏付けになる。(ただし、「彼女は20歳」の部部分は誤り。19歳のデビューと発表されていましたが、実際は21歳でした。)
僕は業界に入りたての頃で、洗足池の近くにあった作曲家、猪俣公章さんの自宅で、晩ご飯をごちそうになりながら曲作りの雑談をさせてもらっていた。
篠木雅博 歌い継ぐ昭和 流行り歌
ある日、できたばかりの曲を聞かせてもらったのが三連のリズムの「空港」だった。感想を求められたので「深夜の飛行機の離陸が目に浮かぶようだ」と答えた。歌うのは香港で有名なテレサ・テンだと言われた。
数日後、銀座のライブハウスに彼女が立った後、銀座のすし屋で紹介された。彼女は20歳。初々しくえくぼが愛らしく礼儀正しい。スラっとした容姿で、チャイナ服のスリットからのぞく足がきれいなものだから、恥ずかしながら新米の自分は緊張した。
万華鏡~ZAKZAK by 夕刊フジ
写真
貴重な、銀座メイツでの、一般の人の撮影による写真があります。(撮影時期は不明)
右の写真に写っている背後の男性は、司会の山崎イサオさんでしょうか。
次の3枚の内、右端が、銀座メイツでの撮影とされる写真です。(左は新宿ルイード、中央は神宮外苑での写真のようです。)
1977年10月5日 「東京銀座演唱」との説明がある写真です。
1977 日本登台演唱秀一段橫笛吹奏:「真的是一小段噢!」
(=1977年 日本はステージに上がってフルート演奏を披露しました。「本当に短いセクションです!」)いうキャプションの添えられた、Facebookにある写真。ヤクルトホール、ルイードの可能性もありますが、コスチュームがヤクルトホールのものと異なることと、背後に山崎イサオが見えることから、「銀座メイツ」の可能性が高いと思われます。
出演前のインタビュー
1978年1月12日、銀座メイツ出演前に受けた雑誌のインタビュー記事。
→記事全文(テキスト)
証言
ごく一般の人の自身の経験談。
私はテレサの日本でのデビューライブと思われるステージを見ています。銀座のライブハウスで恐らく初めて日本の観客を前にした有料ライブと思われす。開場2時間前に良い席をと早く行ったのですが、客は私だけ・・・開場時も私ひとり。東アジアのビックスターの触れ込みなのに、なぜと思いました。前座歌手が歌い終わって、テレサの歌唱時に客席には10人もいないように思いました。
2015/09/21(月)18:03 Kei Cha の BS-11サイトでの投稿
別の人が、銀座メイツでもらったというサインの写真ががweb上にあります。
銀座メイツを経営していた渡辺プロダクションの名前の入った色紙で、1978年4月18日の日付が入っています。(数字の「7」には、テレサの癖が出ています。)
1978年ということは、1974年のデビューから4年後。1976年ころの新宿ルイードでのライブ活動や1977年のヤクルトホールの日本での本格的コンサートの後のこと。
ここでは人名は伏せましたが、元のサイトには、人名と銀座メイツで貰った他の歌手のサインの写真が掲載されています。
同じサイトにあるスケジュール表。この月にテレサ・テンの名前はありません。司会に山崎イサオさん(ヤクルトホールでのコンサートでMC)の名前があります。