ごめんなさい。私の歌い方が悪かったから
(pp.158-159)
テレサは’53年1月29日、台湾・雲林県に生まれた。父親は中国共産党に追われ、台湾に渡った国民党軍の元軍人。家庭は貧しく、数世帯が雑居する「合院」という集合住宅に暮らした。
京劇が好きだったテレサの母は、少しでも生活費が浮くと彼女を舞台へと連れて行った。小学校の頃から歌が得意だったテレサは軍隊慰問楽団に入り、家計を助けた。彼女は14歳でプロデビューし、’70年には台湾のみならず、シンガポールでも人気を博した。
テレサが「日本の父」と頼った元トーラスレコード社長・舟木稔さん(87歳)が回想する。
「初めて彼女のステージを観たのは、’73年。香港でのことでした。彼女は20歳になったばかりでしたが、ステージでは堂々と振る舞っていました。
コンサートの後、テレサと彼女のお母さんと、九龍半島にあるミラマーホテルの喫茶店で顔合わせをしました。テーブルの向かいに座った彼女は、物静かな子でした。当初、お母さんは来日に賛成でしたが、お父さんが猛反対していた。必死にお父さんを説得し、来日を許してもらったのです」
海外ではスター歌手だったテレサだが、日本では躓いた。アイドル歌謡調のデビュー曲『今夜かしら明日かしら』がまったく売れなかったのだ。
「1枚目のシングルは大失敗。3万枚を出荷して、ほとんどが返品されてしまった。彼女は『ごめんなさい。私の歌い方が悪かったから』とスタッフに謝っていました。
崖っぷちに追い込まれた2枚目はデビュー曲とは違う、演歌で勝負することにしました。彼女の声に惚れこんだスタッフが、『彼女の声を活かさない手はない。歌を聞かせるには演歌調だ』と主張したんです」(舟木さん)
以上、『週刊現代(2020年12月5日号)の記事より
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