パスポート事件 Passport Incident
タイムライン
1979年2月13日
香港―台北―香港
インドネシア旅券を入国管理官にみとがめられ入国を拒否されて、香港へ戻る。
駐台湾のインドネシア大使館は各国インドネシア大使館へ偽造旅券を使う「テング・エリー」を通報。
*「テレサ・テンと台湾の入管職員とのやり取りを『中国日報』の空港駐在記者に目撃され」た、という情報もある。
1979年2月13日
香港から羽田へ
香港発の中華航空16便で羽田へ向かう。
1979年2月14日
日本へ入国
再び「テング・エリー」名のインドネシア旅券を使用したが、入管係官は旅券が偽造であることも見破れず、入国する。
ヒルトン東京(新宿)に宿泊。
* 宿泊先を、東京ヒルトンホテル(千代田区の現・ザ・キャピトルホテル東急)に宿泊したという情報もある。
1979年2月15日
東京入国管理局に収容
駐日インドネシア大使館から同入管への手配。東京入国管理局の係官が滞在先に出むいて、本人が偽造旅券使用を認めたため、東京入国管理局に収容。
* 東京入国管理局に収容を、1979年2月17日とする情報もある。
* ホテルを訪問したのが、東京入国管理局の係官に加えて、インドネシア大使館員も一緒だったという情報もある。
1979年2月17日
舟木氏に連絡
「17日の夜8時頃に、『入管がテレサを連れて行った』という電話を彼女のお母さんからもらい、驚いたのを覚えています。」(「ポリドール」の編成部長・舟木稔氏=当時)
1979年2月18日
一週間の取り調べ
本格的な取り調べが始まる。テレサは「台湾政府発行の旅券は持っているが、ほかに必要な渡航証明書が手に入らなかったので日本に入国できなかった。ファンから二万香港㌦(約八十万円)で買ったインドネシア政府発行の旅券を使い、入国した」と言い、不正入国を認める。
この間、他の収容者と共に、同室で過ごす。
国外退去と1年間の日本入国禁止の処分が下される。
1979年2月18日
新聞各紙が報道
18日は産経新聞・日本経済新聞・日刊スポーツの三紙、翌19日には他紙もテレサ・テンの「偽造パスポート」による入国と入国管理事務所収容・取り調べについて、報道をする。
1979年2月24日
釈放・出国
東京入国管理事務所前に報道陣が集まる中、釈放される。
友人のシンガポール人女性やレコード会社社員に囲まれて車に乗り込み、成田空港へ。
空港では、追いかけてきた報道陣にお詫びのメッセージを書いたメモを渡し、パンアメリカン機で出国。サンフランシスコへ向かう。
1983年4月26日
(出国から4年2月)
トーラスと契約?
1983年4月26日の日付のある「旅人」プロモーション版EPをリリース。このころ、トーラスと契約か。
1983年6月1日
(出国から4年4月)
「旅人」をリリース
香港ポリグラム原盤のアルバム「旅人」を、トーラスからリリース。
1983年10月
(出国から4年8月)
シングルをリリース
『ふたたびの』(オリジナル歌唱は小林幸子)を10月21日にはカバーシングルでリリース
1984年2月25日
(出国から5年)
再来日
「空白の5年」を経て、来日。(午後8時20分、中華航空008便で羽田空港に到着。)
1979年2月26日
取材対応、リハーサル
ラジオ出演、雑誌取材対応、翌日のリハーサル
1979年2月27日
記者会見
赤坂ニューオータニ・クリスタルルームで記者会見とミニライブ。『つぐない』などを歌唱。
1979年2月28日
テレビ・ラジオの出演
フジテレビ「笑っていいとも」や文化放送「ダイナミックレーダ-」に出演。
Posted by teresateng