パスポート事件 Passport Incident
渡米
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2月24日、釈放されると、そのまま成田に向かい、渡米しました。
5年後
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5年後、1984年(昭和59年)2月28日 赤坂ニューオータニ・クリスタルルームで活動再開を表明する記者会見兼ミニライブ。
そこで何とか、再デビューしたテレサをマスコミにアピールしようと考えたのが、「ホテルニューオータニ」 のクリスタルルームで行うミニステージだった。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
マスコミや音楽評論家に声をかけて集まってもらい、そこでテレサが最初に数曲歌い、そのあとで記者会見を開くという作戦をたてたのである。結局は、これがテレサが再デビューを果たしてからの初めての本格的な活動になったのである。
(中略)
きっかけをつかんだリポーターたちは、次から次へと質問を投げかけた。それからは偽造パスポートの質問一色になった。
テレサは戸惑い、言葉がうまく出てこない。そして困惑した顔を僕に向けた。僕は頭のなかが真っ白になった。こんなはずじゃない、こんなはずじゃなかったよな、という言葉がめぐるだけだった。
だが、しばらくの沈黙のあとテレサは静かに答えたのだ。
「あのときは私が子どもでした。未熟でした。いま考えれば私の至らないところがありました。反省しています。大人として勉強して、みなさんに迷惑をかけないような、いい歌手になりたいと思います。よろしくお願いします」
彼女のけなげさはこういうところにある。テレサは、台湾にはそういう事情があるんだ、 とは決していわなかった。自分がいけなかったのだと、素直に謝るだけだった。