アグネスに追いつけ追いこせ
新人時代は、同期の新人と比較されますが、「外国人」歌手のテレサ・テンにとっては、さらに、同じ立場の歌手たちとも比較されます。
テレサ・テンの場合は、台湾や香港出身の歌手として、欧陽菲菲やアグネス・チャンが「ライバル」となります。(ジュディ・オングはなぜか、記事で名前が挙がっていません。別格ということでしょうか。)
『平凡パンチ』1974(昭和49)年3月25日号の記事です。
アグネスに追いつけ追いこせ
“新人賞”期待・・・
テレサ・テン(歌手)おかめ型というのは、純日本風美人の典型、彼女の場合はまさにピタシ。ウチの隣にもいそうな、カワイコちゃんだ。
どう? 忙しい――なんて、つい日本語で話しかけてしまうと*てんでキョトンとしている。
ついで出てくるのが、まことに流暢なキングズ・イングリッシュで、今度はこっちがキョトン。
彼女、欧陽菲菲、アグネス・チャンにつづく中国系シンガー。テレサ・テンは漢字で書くと、鄧麗君となる。
〝歌星鄧麗君昨離港〟(スター歌手テレサ・テン昨日香港を離れる)、〝王女歌星返台〟(歌う女王台湾に帰る)――といった調子で、香港、台湾などではすでに大変な人気。**一九五五年一月二十九日生れ、十九歳。生まれは台北だが、香港、台北を中心に、シンガポール、ベトナムなど、東南アジアでも活躍。十五歳でデビューして、四年のキャリアで、すでに二十枚のLPを出してるというからすごいのだ。
現地では菲菲ちゃんの十倍はかせぐといううわさもある。
そのテレサ、日本に乗りこんでの第一作が三月一日に発売された「今夜かしら明日かしら」。
キングズ・イングリッシュふう日本語で歌う彼女、アグネスよりも、ちいっと大人のムードである。
今夜かしら、明日かしら・・・と心の騒ぐ相手はいるのか?と問えば、
「わたし、日本に来てまだ、だれも知らない」
そりゃそうだ。なにしろ、日本に来て、まだ一か月しかたっていないんだから。
しかも、来日そうそう三月はテレビだけで四十五本の出演。クラブ中心だった東南アジアでの仕事と違ってテレビ中心の日本の仕事に、いささか*とまどっているようす。
逆に、日本側のスタッフも、テレサの中国的ペースに、いささかとまどっているようす。
たとえば食事。ゆったりとテーブルにつき、全員がそろわないと食事をはじめない。これが彼女の国での礼儀なのだ。
テレビ局をかけまわる間に、手近な物をかっこむという人気スターペースが当たりまえ、というスタッフは、まず、これで調子が狂っちゃう。
「それに、若いからネ。また、よく食べるんですよ」
とマネジャー。
おまけに好物が茶わんむし。これは時間がかかる。
「ちょっと、こっちへ目線ください」
とカメラマン氏が言っても、キョトンとしている。
日本語がわからないせいもあるが、香港や台北では、カメラマンが来ても、一発パチリと撮って終わり。
日本のカメラマンは、裏から表から上から斜めから、やたら撮るから疲れちゃうそうだ。
現在は、ホテルで母親と二人でくらしている。東京へ来て、いちばんビックリしたのは、地下鉄がやたらと多くて、地下を歩いている人がいるということだ。
『平凡パンチ』1974(昭和49)年3月25日号
地下で人間が働いているなんて信じられない――と、ものすごくおもしろいことを言う。
いま知っている日本語は、 コンニチハ、ヨロシク、サヨナラ、オヤスミナサイ、オイシイデスネ、サムイデスネ、エエ……。
この七つ。
「早く日本の生活になれたい」と彼女。
でも、あんまりなれないで、マイペースでやったほうがいいと思うのだが…。
身長165センチ、体重48キロ、B84・W58・H91。
注 * ボールドのことばは、原文で傍点のついているもの。
** 「一九五五年一月二十九日生れ、十九歳」はデビュー当時のデータ。正しくは、「一九五三年一月二十九日生れ、二十一歳」です。