テレサ・テンがトラック野郎に挑戦

 別の記事「20200220 小説『廃市』第一章 愛人04」中で、テレサ・テンについての記述している部分があります。
 文中には「日出盛」という日本酒のCMのBGMに『空港』が使われたと述べられています。

テレサ・テンも懐かしい名前だった。アジアの歌姫になることを夢見て日本の音楽市場にテレサ・テンがデビューしたのはたしか昭和五十年のことだった。四十年前だ。オレはこのときまだ二十七歳だった。そのころのオレとテレサ・テンは仲良しだった。レンタカーを借りて別府温泉から広島まで晩秋の阿蘇山を回って二人だけでドライブしたことがあった。テレサ・テンは中国名を登麗君というのだがこの頃のテレサはむっちりと太って大きなお尻をしていた。彼女もヘレンと同じでエキゾチックといえばまあそうだがそのころは悪いけど実はあか抜けないちょっと泥臭い感じの女の子だった。テレサはこのとき年齢はたしか二十歳くらいのようなことをいっていたと思う。それはこういう話から始まった。当時テレサが所属していたWプロダクションの担当マネジャーだった渡部要三がただ(ギャラなし)でいいから彼女に仕事させてあげてくれないかといってきたのだ。彼女を連れて彼に会いに来た。それで連絡を取りあうようになり日本酒のコマーシャルを作るという話が来たときに彼女を起用したのだった。この仕事のスポンサーは兵庫の日ノ出酒造という日本酒メーカーで神戸から別府への瀬戸内海を通り抜ける定期航路の客船のなかで海の夜明けの海の日の出の場面をつかって「日出盛」という日本酒のコマーシャルを撮影した。そのコマーシャルの主題歌をギャラなしでテレサに歌わせる。そのかわり彼女の歌をCMソングとして流すという考えた仕掛けだった。このころのテレサはまだ日本に来たばかりで日本のこともよく知らず日本の海の船旅がしてみたいといってロケについてきたのだ。オレはこのとき東京で別件の打ち合わせがあるため初日だけ瀬戸内海ロケに付きあってその別件の打ち合わせに間に合うようにスタッフと別れて別府から広島までレンタカーで移動して東京に戻ならければならなかったのだ。スタッフは船に留まって別府から神戸に戻る船のなかで日没の場面を日の出に摸してカメラを回すことになっていた。オレは別府から広島までレンタカーで移動することにしていた。このころは新幹線は広島までしかいっていなかったのである。テレサはオレがひとりだけで車で東京に帰ることを知ってアタシもタケチさんのクルマにノセてってクダさいといいだしたのだった。この時代のテレサは要するにまだ小娘で『今夜かしら明日かしら』という奇妙なタイトルのポップスとも歌謡曲ともつかない余り出来のよくないデビュー曲を一生懸命にあちこち売り込んであるいている最中だった。新曲を準備していてそれが日本酒のコマーシャルのBMに採用されたのだ。これがいい曲で彼女の日本での最初のヒットになった『空港』だった。こういう歌である。

  ♪何も知らずにあなたは言ったわ 

(歌詞部分略)

   わたしはひとり 去ってゆく♪

そのころのテレサは地味な努力家で日本語の教科書を一時も手放さないような勉強家だった。

https://ameblo.jp/yukiton-4030/entry-12576208939.html

太字は、サイト管理者)

『週刊平凡』1976年11月18日号

目次はこのとおり見つかりましたが、肝心の記事の画像が見つかりません。

2024年7月2日1970,Articles,Trivia,Words

Posted by teresateng