アルバム『淡淡幽情』

『淡淡幽情』の12曲

獨上西樓(詞牌:相見歡)~ひとり西楼に登る

無言獨上西樓
月如鈎
寂寞梧桐
深院鎖清秋
剪不斷
理還亂
是離愁
別有一番滋味在心頭

  

無言で独り西側の高殿に上れば、
三日月が鈎のように見える。
靑桐や桐の繁る寂しげな奥庭には、
薄ら寒い秋が閉じ込められている。
っても断ち切れず、
整えても、またすぐ乱れるのは、
この別離の愁いである。
他にもまた一種独特の味わいが、心の中に在る。

和訳:https://igasanjin.muragon.com/entry/473.html

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

獨上西樓

無言獨上西樓,月如鈎。寂寞梧桐,深院鎖清秋。
剪不斷,理還亂,是離愁。別有一番滋味在心頭。

【意譯】默默無言,獨自一人,登上西樓,但見月如鈎。寂寞的梧桐樹一顆,矗立在深深的庭院之中,像是鎖住了清涼的秋天。剪也剪不斷,愈整理愈亂,這是什麼?是離別的愁緒。別有一番滋味在心頭。

【解説】這首詞,是李後主的作品中最凄慘悲怨的。作者寫的雖是「亡國之音」的哀思,但也是表達個人離别愁緒的上乘之作。簡單的文字,刻劃出如此深沉的意境,眞是不可多得的千古絶唱。前一半是寫景,寥寥幾句,供托出人生無可奈何的孤況,寂寞與凄涼;後半是寫情,心情,感情與情緒都混在一起,「剪不斷,理還亂」,眞實而肯切,幾乎每個人在人生的道路上,都有過這樣的體驗:無以排遣的離愁,更在心中,使人不知如何是好。眞是别有一番滋味在心頭,非筆墨所能形容。

ひとり西楼に登る(独り西樓に上る)

無言にて独り西楼に上る、月はこうの如し。寂寞たり梧桐、深院に清秋をとざす。
せんすれどちえず、理してなお乱る、是れ離愁なり。別なる一番の滋味心頭に有り。

<解釈>
 黙って独り西楼に上り、かぎのような三日月を眺める。奥深い庭の中に一本のアオギリが寂しげに立ち、まるで清々しい秋を閉じこめてしまったようだ。切ろうとて断ち切れない、鎮めようとすればするほど乱れる、それは何か?それは別れの憂い哀しみである。そして心の中にはもう一つ、全く違った味わいが残ることだ。

<解説>
 この詞は李後主の作品の中で、最も凄惨なもの。作者の書いたものはしのびよる「亡国の足音」に対する哀愁の念ではあるが、個人の離別の哀しみをも見事に表現した作品として天下一品である。簡単な文字で、このような深い境地を浮き彫りにしているのはまさに稀にみる永遠の絶唱である。前半は風景描写で、わずかな語句によって人生のいかんともしがたい孤独と寂寞、わびしさを表わしている。後半では情、心情、感情と情緒を混在させており、「剪すれど断ちえず、理してなお乱る」という、長い人生で誰でも体験する真実の情を切々と訴えている。消すことの出来ない別れの憂いが胸につまってどうしたらいいのか分からない。まさにこういう格別な心情には、言葉では形容できない味わいがある。

但願人長久(詞牌:水調歌頭)~長寿を願って

作曲をした梁弘志の演奏での歌唱。1983年2月3日の収録または放送と思われます。梁弘志は、47歳の若さで亡くなっています。

明月幾時有
把酒問靑天
不知天上宮闕
今夕是何年
我欲乘風歸去
唯恐瓊樓玉宇
高處不勝寒
起舞弄淸影
何似在人間
轉朱閣
低綺戶
照無眠
不應有恨
何事長向別時圓
人有悲歡離合
月有陰晴圓缺
此事古難全
但願人長久
千里共嬋娟

  

澄んだ月よ、お前は何時の頃から輝くのかと
酒盃を持って天に問う
天上の宮殿では
今は何時の年にあたるのだろうか
風に乗りそこに行ってみたいものだ
だが翡翠の楼閣や玉の家は私には不相応だし
そのような高い所の寒さには耐えられないだろう
月の下で舞えば影も共に踊る
この良き人の世にはかないはしまい
朱色の楼閣を廻る
低い月の光が窓から差し
その明かりに寝付けない
私を恨むわけでもあるまいに
何故別れの時はいつも満月なのか
人には悲しみと歓び、出会いと別れがあり
月には晴れと曇り、満ち欠けがある
古き世から完全とは難しいもの
ただお互いが長く久しきこと
今宵君も同じ月を見ていることを願うばかりだ

和訳:http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S803.htm

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

但願人長久

明月幾時有? 把酒問靑天。不知天上宮闕,今夕是何年? 
我欲乘風歸去,唯恐瓊樓玉宇,高處不勝寒。起舞弄淸影,
何似在人間? 轉朱閣低戶照無眠。不應有恨,
何事長向別時圓? 人有悲歡離合,月有陰晴圓缺,此事古難全。
但願人長久,千里共嬋娟。

【意譯】明媚的月亮,你是從什麼時候開始照耀大地的? 我擧起酒杯,問靑藍的天空。不知道天上那個月宮,今晚倒底是哪一年? 哦,我眞想飛到月宮中去,飛到你的世界裡去,但我怕尔那翠雕的樓臺和白玉的房屋並不適合我,我怕你那裡太高,太寒冷。我不如留在我的世界,留在人間,在你的月光下跳着舞,享受我的人生,不是更好嗎? 你不停地轉動,照過朱紅的婁臺,又照進雕花的門窗,照着世間失眠的人們。你眞不應該那麼狠心:為什麼偏偏在我們別離的時候,你却那麼圓満? 咲,人生有悲哀有歡樂,有別離有聚合;月亮也有陰暗有晴亮,有圓滿有缺陷。世上的事,自古以來就很難十全十美!但願我們長壽健康,雖相隔千里,也能共享同一個明媚的月亮。

【解說】這是蘇軾在宋神宗熙寧九年中秋夜,通宵狂飲,大醉之後所作,並以此詞懷念其弟子由。作者當晚原是寫給當時名滿全國的歌手袁唱的。開始兩句是乞靈於李白詩:「靑天有月來幾時? 我欲停杯一問之。」故有李太白空靈奇逸的意境以及爽豪放的氣慨。中秋夜,6月當空,文人雅士通宵狂飲,吟詩作詞,歌舞,歡樂之情,躍然紙上,「何似在人間?」事後蘇軾還對遊説:「此便是神仙矣!」蘇軾一生官運河,屢遭貶謫外放,因此在這首詞中勸人達觀,勿作非份之想。在你自己的世界裡享有你自己的存在,便是這首詞的主題。

長寿を願って(但願う人の長久)
 
明月幾時いくときにか有る? 酒を把りて青天に問う。天上の宮闕きゅうけつ、今夕是れ何年なるかを知らず。我風に乗りて帰去せんと欲するも、唯恐る瓊楼玉宇けいろうぎょくう、高処の寒に勝たざるを。舞を起こして清影をもてあそび、いづれに似たり人間じんかんる? 朱閣を転じ、綺戸きどを低くして、無眠を照らす。まさに恨み有すべからず、何ぞことさらに別時に向かいて圓なるか? 人に悲歓離合有り、月に陰晴圓缺いんせいえんけつ有り、此事いにしえよりまっとうしがたし。但願う人の長久、千里輝娟せんけんを共にするを。

<解釈>
 美しい月よ、あなたはいつから大地を照らし始めたのですか? 青い空に私は酒杯を挙げて問いかける。天上の月宮では今晩はどの一年なのですか? ああ、私は月宮へ、あなたの世界へ飛んでいきたい。だけどあなたの翡翠の彫刻でできた楼台や、白い玉づくりの家は私にふさわしくないし、そこは高すぎてとても寒いに違いない。やはり人の世の中に留まって、あなたの光りの下で舞を舞い、人生の快楽を享受するほうがもっと良いのではないか。あなたは休まず廻りながら朱色の楼台を照らし、また彫刻を施した門や窓から入って眠れない人々を照らしている。あなたは意地悪だ、私たちの別れの時に限ってなぜそんなにも丸いのですか? ああ、人生に悲哀と歓楽があり、別れと出会いがあるように、月も丸く美しく輝くときも暗く欠けているときもある。昔から世の中、完全無欠ということの難しいことよ!ただお互いの長寿と健康を願い、たとえ遠く離れていても、共にこの美しい月の光を享受できることを願うばかりだ。

<解説>
 これは蘇軾が宋の神宗熙寧9年の中秋節の夜、徹夜で飲み、大いに酔った後に作ったもので、弟子を偲んだもの。作者はもともと、当時全国に名を馳せた歌手の袁綯に歌わせるためにこの詞を書いた。最初の二句は、李白の「青天月有り幾時来たり? 我杯を停め一つ之を問わんと欲す」という詩にインスピレーションを受けたので、李太白特有の変化に富んでとらえがたい風格と豪放磊落な気概がうかがえる。中秋の夜、明るい月の光の下で文人雅人が夜通し飲み狂い、詩を吟じ、詞を作っては歌い踊る歓楽をいきいきと描いた。「何れに似たり人間に在る(人の世に生きるってのはどんなものだろうね)? 」の句に続き、蘇軾は遊び仲間に「こここそは仙人の境地だよ!」と云ったという。蘇軾の一生は役人としての運に恵まれず、非常に不本意だった。従ってこの詞においては、人に達観せよ、分不相応なことをするなと勧めている。自分自身の世界で自分の存在という愉しみを見いだすのだ、というのがこの詞の主題である。

幾多愁(詞牌:虞美人)~悲しみが流れていく

春花秋月何時了 

往事知多少
小樓昨夜又東風
故不堪回首月明中
雕欄玉砌應猶在

只是朱顔改
問君能有幾多愁

恰似一江春水向東流

 

春の花から秋の月へと巡る季節に、
いつか終わるときがあるだろうか、いやありはしない
昔日の思い出はどれほど多いことか
昨夜楼閣ではまた故国のある東の方から風が吹いてきた

月光の中に映る故郷は振り返るに堪えない
彫刻した欄干や玉石の階段で飾り上げた
我が金陵の宮殿はまだその姿を留めているだろう
ただ、この私は容色も衰えて年老いてしまった
自問自答する「一体この私にはこれからも
どれほど多くの愁いがあるのだろうか」と
それはあたかも、長江を満たす春水が東に

向かって滔々と流れるように尽きることがない

和訳:https://igasanjin.muragon.com/entry/429.html

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

幾多愁

春花秋月何時了? 往事知多少。小樓昨夜又東風,
故不堪回首月明中! 雕欄玉砌應猶在,只是朱顔改。
問君能有幾多愁? 恰似一江春水向東流!

【意譯】春花榭了,秋月淡去,時光一年一年溜過,到何時才是人生的盡頭? 多少的往事還依然記得清清楚楚。昨晚,東風又吹進小樓,在月光下,實在不忍去回想我那失去的家國!往日宮中那些雕花的欄杆和玉石的臺階,應該依舊在那裡,只是如今人事已變,面目全非。我眞不知道往後還有多少悲愁? 多少悲愁,如如滿江的春水,永遠不斷地向東流,向東流…

【解説】作者李煜,又稱南唐李後主。他做了十五年皇帝,國亡而被俘。宋太宗封他作違命候。從此,生活十分淸苦,他曾寫信給舊日宮人説:「此間日夕,以眼淚洗面。」後來,宋太宗聽説他於七夕節夜晚在寓中作樂,頗為生氣;又因為他的這首詞中有「故國不堪回首月明中」的句子,便命人用毒藥將李後主毒死。這首詞是李後主到宋朝做俘虜後第二年正月的一個月夜裡寫的,距離他前一年正月受降時恰恰是一年。顯然,也是一種紀念,所以,李後主才用「又東風」來表示又過了一半的意思。一國之君淪為階下之囚,第一年的俘虜生涯,其愁苦,其悲切,眞是非筆墨所能形容。作者一字一涙,讀者也一字一涙,歌者更一字一涙!這首詞的意境,沉痛悲涼,廻腸盪氣,被推爲千古絕作。

悲しみが流れていく(幾多の愁い)

 
春花秋月何時いづれのときにかおわる? 往事多少を知る。小楼昨夜又東風、
故国回首にえず月明のうち! 雕欄玉砌ちょうらんぎょくせつまさになおるべし、只是れ朱顔しゅがんあらたむ。
君に問うく幾多のうれい有るか?と。あたかも一江の春水東に向かいて流るるに似たり。

<解釈>
 春、花は散り、秋の月光は暗くなり、一年一年と時は流れる。人生の終わりはいつであろうか? 沢山の過去の出来事を今でもはっきりと記憶している。昨夜は東風が部屋に吹き込んで、月の光の下で、失った我が故国のことを思い出さずにはいられなかった。かつての宮中の彫刻の施された欄干や玉石の階段は、まだあの場所に有るはずだが、今では世の中は一変してしまった。今後はどれほどの悲哀や憂いがあることだろうか? 沢山の哀しみがまるで満々と水をたたえた春の川とって、絶えることなく東へ、東へと流れていくようだ。

<解説>
 作者は李煜で、南唐の李後主とも呼ばれた。彼は15年間皇帝の位にあり、国が亡びた後に捕虜となる。宋の太宗は彼を封じて、違命候と名付けた。この時から彼の生活は大変貧しく、昔日の役人に宛てた手紙には「このところ毎日涙で顔を洗うほどの悲惨な日々を送っている」とあった。後に宋の太宗は七夕の夜に彼が捕虜の身でありながら詩を詠み愉しんでいることを知って激怒し、またこの詞の中の「故国回首に堪えず月明の中」という句のために、彼を毒殺させてしまった。この詞は李後主が宋朝の捕虜になって二年目の正月のある月夜に書いたもの。一年前の正月に降伏してちょうど一年の記念として作った。「又東風」は、また一年が過ぎてしまったという意味を表す。一国の君主が囚われの身になって初めての一年間、屈辱と忍従の俘虜生活は哀れで痛ましく、筆舌に尽くしがたいものがある。作者の一文字、涙の一滴が、読者の涙を誘い、歌う者は更に涙せずにはいられない。この作品の沈痛な哀しみ、断腸の思いは古来からの最高傑作とされている。

芳草無情(詞牌:蘇幕遮)~無情な草の緑

碧雲天,黄葉地。
秋色連波,波上寒煙翠。
山映斜陽天接水。
芳草無情,更在斜陽外。
黯鄕魂,追旅思。
夜夜除非,好夢留人睡。
明月樓高休獨倚。
酒入愁腸,化作相思淚。

  

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

芳草無情
碧雲天,黄葉地。秋色連波,波上寒煙翠。山映斜陽天接水。芳草無情,更在斜陽外。黯鄕魂,追旅思。夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚。酒入愁腸,化作相思淚。

【意譯】藍天白雲,滿地黃葉。水邊一片秋天的景色,水波上飄浮着秋涼的線悠悠的霧氣。斜陽照着遠山,天和水在遠處相接。芳草無情,更何况在斜陽外。在旅途中,獨自一人懷念故鄉和過去的情景。除非每個夜晚都能安然入睡而且做個好夢,否則,千萬不要失眠時獨自一人在高樓上看月亮,以免酒入愁腸,會變成相思淚!

【解説】作者范仲淹,乃宋朝有名的儒將,官至宣撫使,鎮守邊關多年,賊寇不敢來犯。這首詞就是在他離鄉別井時所寫的。景色越美,越掩不住離情的愁苦。旅途中的孤况滋味,深深抓住讀者。這首詞,前一半寫秋天的景色,「芳草無情」,寫出了遊子的寂寞孤獨心情;後一半寫出旅途中,悠悠長夜的難受。這首詞,把離情的愁苦,描寫得入木三分!


無情な草の緑(芳草無情)

碧雲へきうんの天、黄葉の地。秋色波に連なり、波上の寒煙みどりなり。山は斜陽を映し天は水と接す。
芳草無情、更に斜陽の外にあり。黯郷あんきょうの魂、旅思を追う。
夜な夜な好夢人をしてねむりに留まらしむるにあらざるを除き、明月楼の高きに独り倚るなかれ。
酒愁しゅしゅう腸に入り、化して相思の涙となる。

<解釈>
 青い空に白い雲、水辺は辺り一面秋の気配で、水面にも緑の霧が涼しげに悠々と漂っている。沈む夕日が遠くの山を照らし、天と水とが遠いところで接している。芳しい草は無情なものだ。ましてや夕日が当たるところではないのだからなおさら寂しい。旅の途中で孤独に故郷と過去の情景を懐かしむ。毎晩安らかに眠りにつき、良い夢を見ることが出来るのでない限り、眠れぬ夜に決して一人で高い楼から月を見上げてはいけない。酒が哀愁に満ちた心に入りこみ、重苦しい望郷の涙になってしまうから。

<解説>
 作者の范仲淹は宋朝の有名な武将で儒学の心得に長け、宣撫使という職務について長年国境を守っていたが、外敵も敢えて攻め込もうとしない平和の時代であった。この詞は彼が故郷を離れている時に書いたもので、景色が美しければ美しいほど押さえきれなくなる愛郷心からうまれた苦しみを表している。旅の途中の孤独感の味わいは、読者の心をとらえる。前半は秋の景色を描き、「芳草無情」は他郷にある者の寂しさや孤独を、後半は旅の途中で長い夜を過ごす切なさを巧みに描写している。別離の情の愁いを描いた最高の筆致である。

清夜悠悠(詞牌:桃源憶故人)~寂しい夜に

https://youtu.be/aDHi4V963c8

玉樓深鎖多情種
清夜悠悠誰共
羞見枕衾鴛鳳
悶則和衣擁
無端畫角嚴城動
驚破一番新夢
窗外月華霜重
聽徹梅花弄

  

玉楼の奥深く 多感な少女がいた
彼女と長く寂しい夜を過ごすのは 誰なのだろう…
夜具のオシドリや鳳凰の刺繍に 気恥ずかしく思い
悶々として、着替えもせずに ウトウトしてしまう
突然、軍営のラッパが 夜空に鳴り響き
ひとつの夢が 破られてしまった
窓の外では 月明かりに屋根の霜が光り
『梅花弄』の曲を自ら奏で 聴かせるのだった

和訳:https://youtu.be/aDHi4V963c8

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

清夜悠悠

玉樓深鎖多情種,清夜悠悠誰共?羞見枕衾鴛鳳,悶則和衣擁。
無端畫角嚴城動,驚破一番新夢。窗外月華霜重,聽徹梅花弄。·

【意譯】玉樓上住着一個多情的少女。誰跟她渡過這悠長而寂寞的夜晚?她看見枕頭和被子上绣着的鴛鴦鳳凰都成雙成對而不免有些害羞。沉悶的心情使她穿着衣服而昏昏入睡。突然,無端端,軍營裏的軍號,響徹長空,驚破了她的新夢。她眺望窗外,但見明亮的月光和屋頂上的晚霜,此情此景,無可奈何,唯有自彈自奏一曲「梅花弄」給自己聴!

【解説】秦少游,宋,揚州人。性豪放不羈,但官運不佳。甚爲醉心於作詞。五十三歲時,去藤州的華光寺遊山玩水,跟旅客講述他夢中所得的佳句,忽然說想喝水,别人取水來給他飲,他看着水,笑笑,便死去!這首詞是描寫懷春少女的心情。少女都經歷過懷春的階段,自古以來,中外一樣。夢中被軍號驚醒,使人想起卡門組曲中的軍號聲。更深人靜,萬籟俱寂之時,以如此刺激的聲音來襯托這少女如此沉悶的心情,確是難得多見的大手筆!

寂しい夜に(清夜悠々)
玉楼ぎょくろう深くして多情の種を鎖す。清夜悠々として誰か共にするを?
枕衾鴛鳳ちんきんえんほうはず見れば、悶としてすなわち衣を和してようす。
たん無くして画角がかく厳城を動かし、一番の新夢を驚破きょうはす。窓外月華霜おもく、聴きとお梅花弄ばいかろう

<解釈>
 玉楼に一人の多感な少女が住んでいる。誰が彼女とこの長く寂しい夜を過ごすのか? 彼女は枕と掛け布団に刺繍された鴛鴦や鳳凰がどれもつがいになっているのを見ると、思わず気差ずかしくなり、悶々として衣服を着たまま眠ってしまった。突然、何の前触れもなく軍営のラッパ(画角)が夜空に鳴り響き、彼女の夢が破られてしまった。窓の外に目をやると、明るい月の光と屋根の上の霜が見えるだけ。このどうしようもないやるせなさに、彼女は「梅花弄」という曲を奏で、自分に聴かせるのであった。

<解説>
 秦少游は宋の時代の揚州人。性格が自由奔放で、官吏としては不運であったが、詞作りに夢中になる。53歳で藤州の華光寺に旅をしたが、夢の中で浮かんだ詞の文句を旅人に披露している時に突然水が飲みたくなって、運ばれてきた水を飲ませると、彼は水を見ながら微笑みを浮かべてそのまま死んでしまった。この詞は少女が成長していく過程で古今東西を問わずに抱く、青春の悩みを表現している。夢の中、軍隊のラッパで目を覚ますところは、オペラのカルメンを想起させる。夜が更けて静まり返った寂しさを破るこんなにも刺激的な音によってこの少女の悶々とした心情を鮮やかに際だたせるとは、稀にみるすばらしい手法である。

有誰知我此時情(詞牌:鴞鴣天)~この心は誰も知らない

https://youtu.be/yqyZ0O1Q3Fs

玉慘花愁出鳳城

蓮花樓下柳青青

樽前一唱陽關曲

別人人第五程

尋好夢 夢難成

有誰知我此時情

枕前涙共階前雨

隔了窗兒滴到明

  

あなたが鳳城を離れる時、
玉の飾りの艶も消え失せ、咲く花も悲しげに、
蓮花樓の下の柳は
青々とした枝を伸ばしている。
私は酒杯を挙げて
別れの『陽関曲』を唱い
あなたを見送って、名残が尽きずに
遠くまでついて来てしまった。
せめて夢の中で、あなたに逢いたいが
いい夢は、なかなか見られないものだ。
私のこの気持ちを分かってくれる人は
誰かいるだろうか。
私は涙の滴で枕をぬらし
外は雨の滴が降りしきる。
窓を隔てて
共に夜明けまで流れ続ける。

和訳:https://youtu.be/yqyZ0O1Q3Fs

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

有誰知我此時情

玉慘花愁出鳳城,蓮花樓下柳青青。樽前一唱陽關曲,
別人人第五程。尋好夢,夢難成,有誰知我此時情。
枕前涙共階前雨,隔了窗兒滴到明。

【意譯】你離開鳳城的時候,玉飾變得那樣
慘白,花朵開得那樣悲愁,就連為你餞行的蓮花樓下那柳樹也顯得靑悠悠。我舉起酒杯唱一首送别的陽關曲,送你一程又一程,還是依依而别。眞希望和你夢中相會,但是好夢難成,有誰知道我這時的情懷。我在枕上流淚,天在階前落雨,隔着窗兒,裡外一起點滴到天明。

【解說】作者聶勝瓊,是宋朝時代的名妓,才貌出眾,被宋朝大官李之問看中,共赴同居。這首詞是作者送别李之問後數日,仍然思念而作。作好後,作者差人送給李之間。李之問回家後,被其妻發現這首詞,便具實告之。其妻喜歡這首詞的語句清健,便命李之問帶了許多粧奩,正式娶聶勝瓊回家。一時傳為詞壇佳話。這首詞的感情真誠而熱烈,表達出戀愛中人的濃情蜜意和痴心一片。

この心は誰も知らない(誰か知るは有りや我が此の時の情)

ぎょく惨にして花うれうるに鳳城を出づれば、蓮花楼下の柳青青せいせいたり。樽前そんぜんに一唱す陽関の曲、
個人別して人第五程にいたる。好夢を尋ぬるも、夢成り難く、誰か知るは有りや我が此の時の情。
枕前ちんぜんの涙は階前の雨と共にし、窓を隔ててしずくあかつきに至る。

<解釈>
 あなたが鳳城を離れる時、玉の飾りの艶も消え失せ、咲く花も悲しげだし、あなたを送別するための蓮の花や楼の下の青々とした柳にさえも活気がない。私は酒杯を挙げて別れの「陽関曲」を唱い、あなたを見送って名残が尽きずに遠くまでついて来てしまった。せめて夢の中であなたに逢いたいが、いい夢はなかなか見られないものだ。私のこの気持ちを分かってくれる人は誰かいるだろうか。私は涙の滴で枕をぬらし、外は雨の滴が降りしきる。窓を隔てて、共に夜明けまで流れ続ける。

<解説>
 作者の轟勝攻は末の時代の有名な才色兼備の芸子で、宋朝の大臣、李之問に見染められて同棲した。この詞は作者が李之問と別れて数日後、変わらない思慕の念で作った。作り上げた詞は人を介して李之問に手渡され、李之問が自宅に帰ったときに妻に見つかってしまったが、彼は正直に打ち明けた。妻はこの詞の文句が健全なのを気に入り、李之問に沢山の嫁入り道具を持たせて正式に轟勝攻を妾に迎えた。この物語は美談として詞壇に伝えられたという。この詞は真撃で心がこもっており、恋する人の熱烈で甘い情感、痴情をよく表現している。

臙脂涙~涙は赤い花びら

https://youtu.be/9MFsw9j80I0

林花謝了春紅 太匆匆
無奈朝來寒雨晩來風

臙脂淚 留人醉 幾時重

自是人生長恨水長東

  

春の花は瞬く間に散ってしまい
朝に冷たい雨が降り、
夕べには強い風が吹くのは、どうにもできない
化粧の紅がにじむ涙、
人を酔わせ、いつまた会えるのか
生きることは恨み果てなく、
長江の水が東に流れるようなもの

和訳:http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-981.html

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

臙脂涙

林花謝了春紅,太匆匆!無奈朝來寒雨晩來風。
臙脂淚,留人醉,幾時重?自是人生長恨水長東!

【意譯】春花如林,萬紫千紅;轉眼間,春去花落,凋謝得太快,太快!無奈那朝朝的寒雨,還有那夜夜的晚風。女人的淚珠,染着胭脂,像一片片紅花的花瓣一般落下,使人留戀,使人陶醉,使人不忍離去;此情此景,何日再重逢?咲!人生就是這樣,永遠有遺憾像江水一樣,永遠向東流去。


【解説】這首詞是李後主做了宋朝俘虜之後所作。命運的攻,痛苦的煎熬,中年的人生,作者此時滿懷淡淡的哀愁。前一句雖是寫景,但用「太匆匆」,用「常恨」,詞意便迅速轉入內心的感受。融景入情,景爲情使,這是千年難得的上乘抒情之作。讀者在這首詞裡所感染到的是美好的事物橫遭摧毀,並不限於「林花」。「林花」的命運如此,其他和「林花」同樣命運的都如此。後段轉到描寫人生的好景不常,把女人比作「林花」般值得留戀與陶醉,悽豔動人。這就有足夠的力量來表現「人生長恨水長東」這一深刻的主題思想。

涙は赤い花びら(臙脂えんしの涙)

林花りんか謝して春のくれないあまりに匆々そうそうたり。無奈むなしくあしたに寒雨来たりてゆうべに風来たる。
臙脂の涙、人をして酔に留まらしむるは、幾時にかかさならん?
自より是れ人生とこしえに恨みあり水とこしえに東にながる。

<解釈>
 色とりどりの花も、春が過ぎゆくに従ってあっという間に散ってしまった。あまりにも早すぎる季節の移り変わりよ!毎朝の冷たい雨と夜ごとの風が一段と散る時期を早めている。女の涙は頬紅を溶かし流れ、まるで赤い花びらがひとひらひとひら落ちてゆくようで見る者を引きつけ、酔わせ、離れがたくさせる。このような情景にいつまた出逢えようか。ああ、人生とはこういうものだ、心残りの情が一筋の川のように東へ、東へと永遠に流れ続ける。

<解説>
 この詞は李後主が宋朝の俘虜になった後に作られた。不安と苦しみに満ち満ちた中年の作者は、淡々とした哀愁を胸に抱いている。前半は自然の景色を描写しているが、「太匆匆」や「長恨」という句を使うことにより、詞意をすばやく心の内面に移し換えている。感情が景色にとけ込んで、非常に得難い叙情の作である。読者がこの詞によって感じ入るのは、美しいものが意外にも打ち壊されてしまうというのはけして花に限らず、花と同じ運命をたどるものは皆いつかは枯れていってしまうのだということである。後半は人生に良いときは続かないことに視線を転じ、女を花に喩え花と同じように心ひかれる様を描写している。そこには「人生には永遠に心残りがつきものだ、ちょうど水は永遠に東に流れるように」という深いテーマとなる思想が十分な力量で表現されている。

萬葉千聲~離別の哀しみ

https://youtu.be/ZV8DsNChBq8
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別後不知君遠近
觸目凄涼多少悶
漸行漸遠漸無書

水闊魚沉何處問

夜聲風竹敲秋韻

萬葉千聲皆是恨

故攲單枕夢中尋

夢又不成燈又燼

  

別れた後、あなたはどこにいるのか分からず
目の前に見えるのはもの寂しさ、愁い悶えばかり
あなたはだんだん遠くへ行って
だんだん便りもなくなり
まるで魚が大海に沈んでしまったかのよう
どこへ行ってあなたの行方を尋ねればいいのか
真夜中に風が竹の葉を吹き鳴らし
秋の音色を響かせているのを聞く
何千、何万もの葉の音は
まるで別れを苦しむうめき声のようだ
独り寝の枕にわざと斜めにもたれかけて
夢の中であなたを捜したいのに
夜通し眠れずにいるうち
燈火も尽き、夢も見られなかった

和訳:日本語版ライナーノートの<解釈>より

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

萬葉千聲

別後不知君遠近,觸目凄涼多少悶。漸行漸遠漸無書,
水闊魚沉何處問。夜聲風竹敲秋韻,萬葉千聲皆是恨。
故攲單枕夢中尋,夢又不成燈又燼。

【意譯】別後不知道你在何處,眼前所見是一片凄涼,多少愁問。你,漸行漸遠,漸漸地便沒有書信寄來,像魚沉大海般,到何處去查問你的行踪。深夜聽見風吹竹葉,響起了秋天的聲音。千萬片葉子,千萬種聲音,全都是離恨的呻吟。故意斜倚着孤枕,指望在夢中找到你,誰知道,通宵達旦,燈燼而夢又不成。

【解説】歐陽修,宋朝,江西人。官至樞密副使。號醉翁。文章名冠天下。「漸行漸遠漸無書」一句,更是千古佳作。一方面是濃情蜜意的朝夕懐念;而男一方面,却漸漸地連一封書信都沒有。前一半寫出相思與苦戀之情;而後一半,因為斷了音訊,被辜負,甚至可能被遺棄,相思與苦戀終於變成了恨,「萬葉千聲皆是恨!」又一句千古佳句。最後,「夢又不成燈又燼」一句,更敎人廻腸盪氣,懐慘淚下。這首詞,寫盡相思與苦戀的哀痛。

離別の哀しみ(万葉の千声)

別れて後君が遠近を知らず、独りもくする凄涼多少の悶。
ようよう行きようよう遠のきようよしょくして、水ひろく魚沈み何処いづくにか問う。
夜声風竹秋韻をたたき、万葉の千声皆是れ恨なり。
故に単枕に借り夢中に尋ね、夢また成らず燈また尽く。

<解釈>
 別れた後あなたはどこにいるのか、目の前に見えるのはもの寂しさ、愁い悶えばかりである。あなたはだんだん遠くへ行って、だんだん便りもなくなって、まるで魚が大海に沈んでしまったかのようだ。どこへ行ってあなたの行方を尋ねればいいのか。真夜中に風が竹の葉を吹き鳴らし、秋の音色を響かせているのを聞く。何千、何万もの葉の音はまるで別れを苦しむ呻き声のようだ。独り寝の枕にわざと斜めにもたれかけて、夢の中であなたを捜したいのに、夜通し眠れずにいるうち燈火も尽き、夢も見られなかった。

<解説> 
 欧陽修は、宋の時代の江西人である。号は酔翁といい、枢密副使という官吏をつとめた。文筆力は天下一品。「漸う行き漸う遠く漸う書無し」の一句は特に傑出している。こちらは甘く情熱的な恋心を抱き続けているのに、相手はだんだん一通の手紙もよこさなくなる。前半では思い合う気持ちと苦しい恋心を描き、後半では音信が途絶えて裏切られ、あまつさえ捨てられてしまうかもしれない不安によって、恋心が恨みに変わる。「万葉の千声皆是れ恨なり!」この一言も名句中の名句である。最後に「夢また成らず燈また尽く」と、激しく焦がれて身悶えする様子が涙を誘う。この詞には思い合う気持ちと苦しい恋心の哀痛の情が見事に描き尽くされている。

人約黄昏後~彼と契った黄昏

https://youtu.be/W4n4vl3bxLQ

去年元夜時
花市灯如昼
月上柳梢頭
人約黄昏後

今年元夜時
月与灯依旧
不見去年人
涙湿春衫袖

  

去年 元宵節の夜
花の市の灯火は 昼のように明るく
月は 柳の梢に昇っていた
あの人と たそがれの後の約束を交わした

今年 元宵節の夜は
月影と灯火は明るく 去年と変わらないが
去年出逢ったあの人には 会えなくて
新春の衣裳のそでを 涙がぬらしてしまった

和訳:https://youtu.be/W4n4vl3bxLQ

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

人約黃昏後

去年元夜时,花市燈如畫。月上柳梢頭,人約黃昏後。
今年元夜時,月與燈依舊。不見去年人,淚濕春衫袖。

【意譯】去年元宵節的夜晚,花市的彩燈照耀得如同白晝一般。月兒掛在楊柳樹的樹梢,他和我相約在黃昏後見面,共渡佳節。今年元宵節的晚上,月兒與彩燈還是和去年一樣,可是 我在花市找不到去年約我的那個情人,我暗自哭泣,偷偷抹淚,淚水濕透了我春節新衫的衣袖。

【解說】作者朱淑眞,又名幽棲居士。丈夫為一市井之徒,粗魯庸俗,故其婚姻很不如意。她因此將其詞集題名為「斷腸集」。這首詞是回憶去年與情人相會的情意。前一半,歡樂之情,躍然紙上;怕被人看見,故相約在黃昏後,天黑了才見面。後一半,環境與前一半相同,佳節的 氣氛,人羣的歡笑,市集的歌舞,依然如故;但女主角的心情,截然不同,被遺棄的居士,又不敢在人羣中表現出來,怕被人看見,只能偷偷抹淚。情人他去,留下一片傷感和淡淡的幽情。

彼と契った黄昏(人と約す黄昏の後)

去年元夜の時、花市の燈は昼の如し。月は柳梢の頭に上り、人と約す黄昏の後。今年元夜の時、月燈旧江依。去年の人見之术、涙春衫しゅんさんの袖湿らす。

<解釈>
 去年の正月の元宵節(旧暦一月十五日)の晩、花市の灯篭の明かりはまるで昼間のように明るかった。月は柳の梢に掛かるように上り、彼と私は黄昏の後に逢い、ともに節句の一夜を過ごした。 今年の元宵節の晩、月と灯篭は去年のままなのに私は花市で去年の恋人を捜し出せなかった。思わず泣き出してしまい、こっそりと涙を拭う私。正月の晴れ着の袖がすっかり濡れてしまった。

<解説>
 作者は朱淑真といい、またの名を幽棲居士といった。彼女は夫が市井のやからで粗野な俗人だったのでこの結婚が不本意でたまらず、自分の詞集に「断腸集」と名付けた。この詞は去年の恋人との逢瀬の情を描いているが、前半は歓楽の情の場面、他人に見られないよう黄昏の後、暗くなってやっと逢った。後半では、周りの様子は去年と同じで賑やかな節句の雰囲気、市に集う歌や踊りも以前のままなのに、女主人公の心はがらりと変わってしまった。棄てられて、人混みの中にいたたまれず、人に見つからないようにただ独りこっそりと涙を流す。愛する人は去り、心の傷と淡々とした想いだけが残された。

歌(詞)の背景~元宵節の文化
http://japanese.china.org.cn/culture/2009-02/09/content_17246192.htm より

元宵節の由来
 陰暦正月十五日は、中国の重要な伝統的な祭日である。古書に、この一日を「上元」といい、その夜を「元夜」「元宵」と称したとある。元宵節の名はこんにちまでずっと用いられている。この春節後の最初の満月の夜に、家々では身内の者が団らんして、共に佳節を祝う。元宵節の歴史は長く、早くも戦国時代に、正月十五日に灯篭見物をしたり、お月見をする風習があった。最初は太陽神を祭るためで、当時「東皇太一」あるいは「東君」と称した。元宵節が民間の祭日になったのは漢の時代で、漢の恵帝劉盈の死後に呂后が帝位を奪った…

元宵節、中国のカーニバル
元宵節は、人々にとって格別な楽しみだ。半月前の春節は「兆し」や「前ぶれ」に気をつけるので、タブーが多く、さまざまな言動に注意しなければならない。しかし、元宵節はリラックスした楽しい祭りで、タブーがないのである。警備の厳しいかつての古代国都であっても、この日ばかりは夜間外出禁止令が解除された。皇帝、大臣から一般の庶民まで、また、ふだんは閨房(女子の部屋)に引きこもっている娘たちも、町へくりだし、美しい灯籠を楽しむのである。そのため、元宵節を「中国のカーニバル」と呼ぶ人もいる…

相看涙眼~別れの涙

寒蟬凄切 對長亭晩驟雨初歇

都門帳飮無緒 留戀處 蘭舟催發

執手相看淚眼 竟無語凝噎

念去去千里煙波

暮靄沈沈楚天闊

多情自古傷離別更堪冷落淸秋節

今霄酒醒何處 楊柳岸 曉風残月

此去經年 應是良辰好景虚設

便縱有千種風情 更與何人説

  

晩秋の寒蝉の鳴き声がもの悲しい
長亭の夕暮れ驟雨が止み
都の門外別れの宴で飲み交わし、
名残り惜しいが蘭舟が出立を促す
手を握りあい視線を交わし
言葉もなく涙する
思いは千里先の水上にたなびく
靄のように
夕暮れの靄は
はるか楚の天空まで続くようだ
悲しい別れは古から堪えることになる
もの悲しい冷たい秋
今宵どこで酒を醒まそう
柳並木の岸辺 有明の月 明け方の風
年数を重ね
いい日やいい景色がなんになるのか
千種の風情をもったにしても
何人に説くことができる

和訳:http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-1023.html

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

相看淚眼

寒蟬凄切,對長亭晩驟雨初歇。都門帳飮無緒,留戀處,蘭舟催發。執手相看淚眼,竟無語凝噎。念去去千里煙波,暮靄沈沈楚天闊。多情自古傷離別更堪冷落淸秋節!今霄酒醒何處?楊柳岸,曉風残月!此去經年,應是良辰好景虚設。便縱有千種風情,更與何人説?

【意譯】寒風陣陣,蟬聲淒切,眼看着送别的長亭被夜色包圍,而傾盤大雨也剛停下來。餞行的酒席設在城外的帷帳裏,大家都毫無情緒。正在捨不得分離的時候,船家却催促快點出發。彼此抓着手,看着彼此充滿淚水的眼睛,竟然梗着喉嚨而說不出一句話。心裡想着,這一去,要走過千山萬水,看見的只是南方遼闊的天空積壓着沉重的黃昏的煙霧。自古以來,多情的人都是最怕離别的,何况在中秋佳節,别人都是全家團聚,而離鄉別井的人却孤單一人,冷冷清清!喝酒吧,但又不知道今晚酒醒時我身在何處?唯有岸邊的楊柳,晚風和殘月而已。這一别離,以後的年月,就算是良辰美景也形同虛設。我心裡縱然有千種情萬般愛,可又能和去呢?

【解説】柳永未成名之時...,世人皆稱他爲柳三變。福建人。他最喜歡爲妓女作詞,流傳很廣。
宋仁宗知道他有「忍把浮名換了淺斟低唱」的名句,考進士時,看見他的名字,説:「這不就是塡詞的柳三變嗎?」又説:「何用浮名,且去填詞!」柳三變從此就自稱是「奉旨填詞」。後來改名爲柳永。也做過一些小官,最後竟潦倒而死。相傳柳永死時,妓女們合錢將他埋葬,每年春天都去上墳。這首詞可以說是把離別之情寫得出神入化。作者把離別分成三部份來描寫:離別之前,離别之時以及離別之後,離別之前:蟬聲,雨聲,江水聲,和餞行酒席上的默默無聲作了提高意境的對照、離別之時:「千里煙波」和「暮靄沈沈」也構成了一幅幅使人傷感的畫面。先是聲音,後是景色,再下來才是别後的情緒澎湃,思念情人以至萬念俱灰!最後的「更與何人說?」應是感情激動的高潮,如海浪般再三不斷地重覆着同一個聲音,同一個問題!

別れの涙(相看あいみて眼に涙)

寒にして蝉凄切せみせいせつ長亭ちょうてい晩に対し、驟雨しゅうう初めてむ。都門の帳にて飲むに緒無く、留恋の処蘭舟の発するをうながす。手を執りて相看て眼に涙、ついに語るなくぎょうしてむせぶ。念ずるは去き去きて千里の煙波、暮靄沈沈ぼあいしんしんとして楚天ひろし。多情いにしえより離別を傷むるに、更になんぞ清秋節の冷落を堪えん。今宵の酒何処いずくにか醒めん?楊柳岸に、暁風ぎょうふう残月ざんげつあるのみ!
此を去りとしれば、まさに是れ良辰好景りょうしんこうけいいつわりにもうくべし。便すなわちたとえ千種の風情有れども、更に何人なんびとに説かんや?

<解釈>
 寒い風が吹いて、聞こえる蝉の音も寂しげである。送別会のあずまやが夜の帳に包まれていくのを見ていると、大地をたたきつけるような大雨も止んできた。はなむけの酒宴は城外で設けられ、皆の気持ちは沈み、少しも陽気に振る舞う気にはなれなかった。ちょうど別れを惜しんでいるところに、船頭が早く出発するよう催促した。互いに手をとって見つめあう眼は涙が溢れそうで、とうとう喉が詰まって一言も言葉が出なかった。心の中でこれから道は険しく苦労をするだろうと思うと、目に映るのは南方の果てしなく広がる空が夕霧に重苦しくのしかかっているさまだけである。古来より、多感な人は誰でも、別れを恐れるものであるのに、ましてや中秋の節句の日、皆が一家団欒を楽しんでいるこの時に、故郷を離れて異境の地に独り有る身にはなおさらこたえることだ。酒を飲もう、だが今夜酔いが醒める時私のこの身はどこにあるのだろう?ただ両岸のヤナギの樹に夜明けの風と残り月が有るだけだ。この離別の後の年月は、たとえどんなに美しく素晴らしいものであっても、見かけだけに過ぎない。私の心の中にどんなに愛情が詰まっていようとも、一体誰に話し聞かせればいいのか?

<解説>
 柳永がまだ有名でない時、世間からは柳三変と呼ばれていた。福建人である。彼は遊女のために詞を作るのが好きで、作品は広く流布した。宋の仁宗が彼の「忍びて浮名(虚名)を浅斟低唱(軽く一杯傾け歌を口ずさむ)に換える」の名句を知っており、彼が科挙の進士を受験するときにその名前を見つけて「これは作詞家の柳三変ではないか、虚名が何の役に立とうか、彼は詞を作るべきだ」と言った。柳三変はそれを聞いて「命に従って詞を作る」と自称した。後に柳永と改名し、位の低い官吏を務めたこともあったが、最後は落ちぶれて惨めに死んだ。柳永の死が伝わると、遊女達は金を出し合い彼を埋葬し、毎年春には皆で墓参りをした。この詞は別れの情を描いて神業の域に達しているが、作者は別れを三つの部分に分けて構成している。別れの前、別れの時、別れた後である。別れの前では蝉の声、雨音、川の流れる音と送別の酒席の静まり返った様子とが対照的で、ムードを高めている。別れの時、「千里の煙波、暮靄沈沈として」も、人を感傷的にさせる一幅の絵のような場面である。まず音声、次に景色、さらに別れた後の情緒の表現と続く展開は見事だ。最後の「更に何人に説かんや」は感情のクライマックスで、海の波のように絶えず繰り返される音、繰り返される問いかけの表現である。

欲説還休~憂愁

少年不識愁滋味
愛上層樓
愛上層樓
爲賦新詞強説愁

而今識盡愁滋味
欲説還休
欲説還休
却道天凉好個秋!

  

若い頃は愁いの味わいを知らず、
よく高殿たかどのに登ったものだ。
よく高殿に登って、
新しい詞を作る為に、
無理に「愁うる」と言ったものだ。
今では愁いの味を知り尽くし、
言おうとするがやはり止める。
言おうとするがやはり止め、
逆に「涼しくて良い秋だな」などと言う。

和訳:https://ameblo.jp/taratara/entry-10008441716.html

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

欲說還休

少年不識愁滋味愛上層樓;愛上層樓,爲賦新詞強説愁。
而今識盡愁滋味欲説還休;欲説還休,却道「天凉好個秋!」

【意譯】少年時代不知道什麼叫愁,也沒有嚐過愁的滋味,就喜歡登高樓而望斷天涯路,為了要寫新詞,勉强裝得滿懷愁緒,勉強說愁。如今年歲已長,嚐盡各種愁苦的滋味,反而不想説起,因爲愁不是言語所能形容的,只好淡淡地説:「好一個涼快的秋天!」

【解説】作者辛棄疾,號稼軒,山東濟南人;能文能武,官至安撫使。因見忌於南方官僚,時常被彈劾。一生官運不濟。這首詞是寫他老年飽經磨折以後的心情。「愛上層樓」,除了喜愛登
高樓外,還暗含着喜愛涉足青樓交往名妓的意思。重覆此句,使得一個充滿青春活力與熱情的青年,躍然於紙上。而緊跟着雨句「欲説還休」,前後對照,更能迅速地寫出老年時的滿懐愁緒。這首詞,前一半熱情洋溢;後一半則沉重得非常語所能形容。越是淡淡的哀愁,越是不想說,愁反而越深,越重!說不出來的愁,是人生常有的經驗,也是人生最無可奈何的!這首詞,寫盡了愁的滋味!

憂愁(説くを欲するにかえってむ)

少年愁いの滋味を識らず、層楼に上るを愛す。層楼に上るを愛するは、新詞を賦して強いて愁い
く為なり。しこうして今、愁いの滋味を識り尽くし、説くを欲するに還って休む。
説くを欲するに還って休み、かえって道う「天涼しくして好きこの秋かな!」と。

<解釈>
 少年時代は何を愁いというのかが分からなかったし、愁いそのものを味わったこともなかった。高い楼閣に上り、遠くを眺めるのが好きだったのも、新しい詞を書くために無理矢理愁いを装い、無理矢理愁いをうたったからだ。今では歳も長けて、様々な愁い苦しみを味わったが、かえって愁いを口にしたくなくなった。なぜなら愁いとは言葉で言い表すことの出来るものではないからである。やむなく「涼しくて、いい秋だね」とでも云うしかないのである。

<解説>
 作者の辛棄疾は号を稼軒といい、山東済南人である。文武両道に長け、安撫使という職の官吏を務めたが、南方の官僚にうとまれて弾劾を受け、その官吏人生は不運であった。この詞は彼の晩年の、浮き世の苦労をなめ尽くした後の心情をうたったものである。「層楼に上るを愛す」の句は文字どおりの意味の他に、暗に「遊郭で名うての遊女と遊ぶことを好む」という意味を指す。この句の繰り返しは青春の活力と情熱に溢れる青年をありありと浮かび上がらせている。次の「説くを欲し還って休む」の繰り返しは、前後を対照させ、老年期の愁いの情をより迅速に際だたせている。この詞の前半は情熱的だが、後半は言葉にしがたいほど重苦しい。淡々とした哀愁であればあるほど、言葉にしたくなければないほど、愁いは深く、重いものであり、言い出せない愁いというものは人生には付き物で誰もが経験するものであり、人生で最も如何ともしがたいものでもある。この詞には愁いの味わいが描き尽くされているのだ。

思君(詞牌:卜算子)~あなたを偲ぶ

我住長江頭
君住長江尾
日日思君不見君
共飲長江水
此水幾時休
此恨何時已
只願君心似我心
定不負相思意

  

私は 長江の上流に住み
あなたは 下流に住んでいる
毎日あなたを思うが あなたに会うことはできない
二人が 同じ長江の水を飲んでいる
この水の流れは いつ止まるのだろう
この別れのつらさは いつ止むのか
願うのは あなたとわたしの心が同じで
互いを思う気持ちが 裏切られないことだ

和訳:https://youtu.be/FPNf8QUaSR8

アルバム『淡淡幽情』(日本版)のライナーノートより

思君

我住長江頭,君住長江尾;日日思君不見君,共飲長江水,
此水幾時休?此恨何時已?只願君心似我心,定不負相思意。

【意譯】我住在長江的上游,你住在長江的下游;天天思念你而見不到你,你我却同時飲用同一條長江的江水。這江水,流到什麼時候停止?這離恨,拖到哪年哪月結束?但願你的心像我的心一樣,那麼就一定不會辜負這番相思的情意。

【解説】作者李之儀,宋朝的進士出身,常追随蘇軾左右,官運不濟,屢次遭到的命運,故此一生都在顛沛流離之中渡過,嚐盡離鄉別井的苦况滋味。這首詞是他中年流落他鄉時,因思念其妻而作。以極為樸素的文字寫出離情别恨的憂怨與傷感。在作者筆下,長江,成為兩地相思的唯一維繫,也是感情抒發的唯一憑藉,故此,「共飲長江水」一句,是全詞的精華與最高意境。朝夕相思的灑情蜜意如江水般滔滔不絕,永無休止,超越時間與空間。水長流,恨長有?語盡而意不盡,意盡而情不盡!這首詞的風格頗近民歌。

あなたを偲ぶ(君思う)

我は長江の頭に住み、君は長江の尾に住む。日々君を思えども君を見ず、共に飲む長江の水。この水幾時にか休む?この恨み何時にか已む?只君の心我が心に似、
定めて相思の意にそむかざるを願うのみ。

<解釈>
 私は長江の上流に住み、あなたは長江の下流に住んでいる。毎日あなたを思うが、あなたに会うことは出来ない。この川の水はいつまで流れてから止まるのだろうか?この別れのつらさは何年何月まで引きのばされて終わるのか?あなたの心が私の心と同じで、このお互いを思う気持ちを裏切るはずがないことを願うばかりである。

<解説>
 作者の李之儀は宋朝の進士出身で、常に蘇軾を追いかけて教えを請うたが官吏としての運は良くなく、何度も左遷され、苦境を味わい尽くす流浪の一生を過ごした。この詞は彼の中年時代の作で、独り異境の地で愛する妻に思いを馳せて書いたものである。飾らない文言で離別の情の愁いや怨み、感傷を描いている。作者の筆のもとでは長江が二人の思いの唯一の絆にも、また感情を述べ表す唯一の拠り所にもなっており、それ故「長江の水を共に飲む」の句がこの詞の粋であり最高の境地にもなっている。言葉が尽きても尽きせぬ思い、思いが尽きても尽きせぬ情。この詞の風格はまさにフォークソング(民歌)に近い。

 日本では珍しく、中国語の歌唱の映像、しかもこの『思君』が日本でも放送されたことがあります。

 この曲の歌詞となったのは「李之儀」の「詞」ですが、テロップでは、「李白の詩を引用」と間違えています。

『淡淡幽情』関連資料

テレサ畢生の力作、そして問題作―中村とうよう

 日本版CDのライナーノート掲載の文章。

 1995年5月8日、テレサ・テンが急死した。42歳の若さである。アジアの生んだ不世出の大歌手が、志なかばにして倒れたのだ。中国人として台湾で生まれたテレサにとって、生涯を通じての最大の問題が中国大陸との関わりだった。この『淡淡幽情』というアルバムは、彼女の中国人としてのプライドを賭けた作品であり、彼女と大陸との関わりをヌキに語ることはできない。
 大陸の民衆はテレサの歌が大好きだし、テレサも彼らに愛情を抱き、ぜひ大陸で歌いたいと、機会あるごとに言明してきた。…

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謝宏中「淡淡幽情中的激情~淡々とした心に潜む激しい情熱」

日本版CDのライナーノート掲載の和訳。

激情の触発
 三年前のある秋の晩のこと、私は書斎で「林花謝して春の紅あまりに勿々たり」という李後主の詞を書写していた。すると牛莉女史がやってきて、なにげなく手に取ると朗読し始めた。深く心に響く感情の高まりと、心地よい音楽的リズムが絶妙に調和してうっとりとした気分になった。もしこの「詞」を現代風の音楽に合わせて唱う形式で表現できるならさぞ素晴らしいに違いない! 私はこのインスピレーションを即座に書き留めた。同じ李後主の「烏夜啼」という詞に曲をつけ、私のヘビーな南の発音で唱い、彼女が朗読し、録音もしてみたら、おや?果たして俗っぽくなくていい感じだ。

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英譯【淡淡幽情】

2023年12月3日1980,Discography

Posted by teresateng