台湾帰国にあたって(1980年)

新聞掲載の声明

 1979年2月の、いわゆる「パスポート事件」後、テレサ・テンは米国に渡り、現地での就学やコンサート活動を経て、1980年9月30日に台湾へ帰国し、記者会見など実施しました。

 以下は、帰国に当たってのテレサ・テンの声明であり、台湾の新聞「民生報」に翌日掲載されたものです。

這次回國,是我近年來離國較久的一次,所以心情顯得特別興奮。
這次回來,主要是響應「自強年」,也是表示一個離鄉已久的遊子,對自己祖國的懷念與熱愛。同時,也趁這個機會作一次義演,略盡做一個中華兒女對自己國家的職責,雖然貢獻極微,但是,是我多年來的心願,也藉此答謝愛護我的聽眾和觀眾。另外,我也希望有機會到各地去勞軍。
踏上自己的國家真好,它讓我感到溫暖與安全,真像是個孩子投入母親懷抱中的那種感覺。我更盼望,我們能早日返回大陸,追隨政府在青天白日滿地紅的旗幟下返回大陸。
去年,曾發生所謂護照事件,我一直為這件事感到遺憾,這次路經東京,日本記者曾提出許多有關這件事的問題,國內各報也都有外電的報導,所以我想不再多談它,請各位能夠見諒。

「民生報」(1980.10.1)

 以下は、当サイト管理者による上の声明の日本語訳です。ただし、必ずしも微細な点まで正確に原文の意図を表してはいません。要旨としてお読みください。

 長く私の故国を離れた年月の後のことで、今回の帰国は心躍るものでさえあります。
 このたび、こうやって帰国する第一の理由は、「自己啓発年」の回答と、長く自国を離れていたことからの郷愁と愛国を示すためです。
 また同時に、故国に有益となる機会とし、少しでも中国人子孫としての義務を果たしたいと思っています。私の貢献は僅かかもしれませんが、この機会を捉えて、私の歌を聞き、愛してくれる人たちへの感謝を示したいと思っています。
 加えて、軍の慰問など、様々な場所へでかけて活動する機会も得たいとも願っています。

 こうやって自身の国に立てることは素晴らしいことであり、暖かく安らかな気持ちを持つことができます。それは母に抱かれた子のようなものです。
 青天白日満地紅旗の下、大陸に戻れることも願っています。

 昨年のいわゆる「パスポート事件」については、常に慚愧(ざんき)の念を抱いてきました。 帰国の前に経由した東京で、多くの記者からこの「事件」に関してはたくさんの質問を受け、すでにここ台湾でも、それらについては報道されている通りです。
 したがって、その件については、今回ご遠慮させていただきますが、どうかご理解ください。

2021年9月6日1980,Words

Posted by teresateng