細川清文
平野久美子氏が「真摯なファン」として、三島町での企画展(2022年8月27日~10月2日)で紹介をしたファン。
以下は、会場での、平野氏による紹介文。(右写真)
日本一、真摯なテレサ・ファン
~細川清文氏のコレクション出展に寄せて~
ノンフィクション作家 平野久美子
評伝や記事の取材で各国の多くのファンと交流をしてきた私は、彼らがいかに“アジアの歌姫”を愛し、今も大切に楽曲を歌い継いでいるかを実感している。中でも印象に残っているのは、日本のファン細川清文(1951~2021)さんだ。
彼が生涯にわたって真摯なファンであり続けた証しとも言える膨大なコレクションの一部が、今回の記念すべきイベントに展示されたことを、天国のテレサ・テンもさぞ喜んでいることだろう。
1951年に都内大田区で生まれた細川さんは、法政大学卒業後広告会社に勤務。ファンになったきっかけは、テレサ・テンが1974年に日本デビュー曲として発売した『今夜かしら、明日かしら』を聴いたことに始まる。
その歌声と歌唱力に魅了された彼は、その後仕事で本人に会う機会を持ち、丸顔の容貌と慎み深い態度にますます惹き付けられた。
以来、「自分の部屋でお酒を飲みながら、テレサの音楽をしみじみと聴く「至福」を感じる一方、日本はおろか台湾、香港など海外のコンサートにも駆けつけ、レコード、CD、写真集、DVD、関連書籍やグッズを集め、テレサ・テンの楽曲に寄り添ってきた。「年齢を重ねても、いつまでも夢見る少年のようだった」とご遺族が思い出を語るように、細川さんは非常にシャイで、真面目で、一途なテレサ・ファンだった。
常に謙虚で自分の知識を自慢することはなく、穏やかな笑顔を絶やさぬ人だった。そう、まるでテレサ・テンのように・・・・。
職場を55歳で退職した細川さんは、「鄧麗君」としてアジアに君臨した彼女が母語で歌う数々の曲に託した深いメッセージを読み解こうと2007年に中国の湖南大学、続いて2008年には台湾へ語学留学を果たした。
20世紀初めの上海で流行ったいくつもの流行歌の復刻版を手に入れて、テレサがどのように時代の雰囲気を表現したか、そんな話を聴かせてくれた細川さんの姿を思い出す。
私が初めてお目にかかったのは彼女の評伝を出版した翌年の1997年。横浜市で行った講演会に参加なさり、誰よりも熱心に耳を傾けていた。
2021年の春、私の元にたくさんの段ボール箱が届いた。生涯独身を通した細川さんが、終活の一つとしてテレサのコレクションを整理したものだった。「これで安心です」というひとことを添えて。その2ヶ月後、彼はご兄姉に見守られ静かに旅立った。棺には遺言通り、お気に入りだったテレサ・テンの写真が収められた。
細川さん、あなたのテレサ・テンへの真摯な情熱や敬愛の情は、ここ三島町の皆さんが引き継いでくださることでしょう。どうぞ天国からこの“ふるさと”を、テレサとともに見守ってください。
ご冥福を心からお祈りいたします。
2022年8月27日