趙曉君とテレサ・テン
一緒のデビュー
Toshikazu S. Foleyさんから教えてもらったことです。
1995年、台湾のドキュメンタリーで、趙曉君はテレサ・テンとの出会いについて語った。(すでに1967年、東方餐廳で出会い、その後、群星會というテレビ番組で何度も共に出演した。)それは、2人が同年に同じ場所でデビューをしたというもので、インタビューで自身はそう述べた。1967年11月のこの新聞では、これが歌手として初めての出演であり("首次獻唱"との表記あり)、それが東方餐廳だったということだ。
日本語翻訳は、サイト管理人による
趙曉君は、1969年12月にテレサ・テンが初めて海外へ出ていったときの、5人の歌手の内の1人でもあった。
さらに、次のようなエピソードもあります。
1995年、テレサ・テンの逝去直後、ドキュメンタリー番組(台湾のテレビ局・華視で放送)の番組スタッフによって、趙曉君 に対してインタビューが行われた。
趙は、自身とテレサ・テンの二人とも東方餐廳,でデビューし、その後、ほぼ同時期に「群星會」というテレビ番組にも出演したと語った。
さらに次のように語りました。「全く突然のことでしたが、テレサ・テンがいなくなってしまったのです。それから後、彼女が日本へ行ったことを知りました。」
ナイトクラブの一人の歌手がこれぞプロの歌手というものへと変わるそのさまに、趙は本当に強く感心させられたとのことだ。
趙から見たテレサ・テン
テレサ・テンは、趙のファースト・アルバムの一曲『一見你就笑』をカバーし、結果、テレビでも放送されることになり、すぐにヒット曲となった。趙は、自分がアルバムで出したときにはこの歌はヒットしなかったのに、と語っている。
またある人は、次のようなエピソードを語っている。
ある日、趙がステージで歌っているとき、マイクの接続不良のトラブルが発生した。すると、ステージ脇にいたテレサ・テンがマイクの延長コードを持ってゆきマイクに繋ぎ、趙が歌っている間ずっと、音声が送られるように手で支えていたというものだ。
また、趙は、テレサ・テンとその母が非常に仲の良いことをうらやましく思っていたとも語っている。(趙自身の母親は、彼女に冷たく当たっていたことが知られている。)