東方飯店「東方餐廳」(東方歌廳)

 幼い頃から、人前で歌っていたテレサ・テンですが、13・14歳頃からは、ホテルのレストラン・クラブなどで歌って、家計を支えていました。

東方餐廳

 1967年には中学校を辞めて、プロ歌手としての活動を始めました。その年から歌っていた場所の一つが「東方飯店 Oriental Hotel」の2階の「東方餐廳」でした。

  民國57年(1968年、テレサ・テン15歳)の『讀友畫刊』という新聞に、東方飯店の広告があり、鄧麗君の名前があります。

 この記事の存在を教えてくれたToshikazu S. Foleyさんは「断定はできないが(may not be entirely conclusive)」との条件付きで以下の説明をしてくれています。

This ad has interesting information: the stage for singers was on the 2nd floor of 東方飯店, and that they served Hunan (湘)  and Cantonese (粵) cuisines at the hotel. Also, the telephone number has only 5 digits: 33877.
Not only so, it details the times when meals were served: lunch and 2 evening meals: 6:45 – 8:45 PM, and 9:20-11:20 PM. These must be the two evening shows when T performed. This means that her audience also ate meals (Chinese food) there while enjoying her singing! 
In her 1992 TV interview, she mentioned that she (in 高雄) also performed in the afternoon – lunch and late lunch, I guess, in addition to 2 evening shows. So, the nightclub in  高雄 must have 2 shows in the afternoon, which was different from 東方飯店 in Taipei. This is new information.
It must be close to midnight by the time when her performances concluded. That was quite an adventure for a teenager.

 以下のような意味になります。

 この広告には興味深いことが分かります。
 歌手たちのステージは東方飯店の2階で、このホテルでは湖南省の料理(湘)と、広東料理(粵)とが提供されていました。また、電話番号は33877という5桁だけでした。
 それに加えて、食事提供の時間も詳しく述べられています。昼食に加え、夕食は2回、6時45分~8時45分、および9時20分~11時45分だとのことです。これらが、テレサ・テンが出演した2回のショーだったに違いありません。つまり、一方、聴衆はテレサの歌を聴きながら、食事(中華料理)を食べていたわけです。
 1992年のテレビ・インタビューで、テレサ・テンは(高雄で)午後にも、昼食と遅めの昼食の時に出演をしていたと述べていました。これは、夕食時の2回の出演に加えてのことだったと考えられます。ですから、高雄のナイトクラブでは台北の東方飯店と違って、午後に2回のショーがあったに違いありません。このことは、あまり知られていません。
 ショーの主演が終わるころには、真夜中近くになっていたはずです。十代のテレサ・テンにとって、なかなか危険なことだったでしょう。

趙曉君

 1995年、台湾のドキュメンタリーで、趙曉君はテレサ・テンとの出会いについて語った。(すでに1967年、東方餐廳で出会い、その後、群星會というテレビ番組で何度も共に出演した。)それは、2人が同年に同じ場所でデビューをしたというもので、インタビューで自身はそう述べた。1967年11月のこの新聞では、これが歌手として初めての出演であり("首次獻唱"との表記あり)、それが東方餐廳だったということだ。
 趙曉君は、1969年12月にテレサ・テンが初めて海外(シンガポール)へ出ていったときの、5人の歌手の内の1人でもあった。

→ 趙曉君とテレサ・テン

 地図で、夜巴黎歌廳と東方飯店を示していますが、厳密な位置ではありません。

歌手・龔と

 テレサ・テン14歳の1967年11月15日に、初めてテレサ・テンに会って、彼女と東方餐廳で一緒に写真を撮ったという、男性歌手の話です。

https://youtu.be/dZ-iLzBrZGg

 この動画の中では、1967.11.15の 日付けの入ったサインが見えるので、当日、テレサ・テンは東方餐廳で歌唱したと思われます。彼によると、実のところ聴衆の80%が、テレサ・テンの熱心なファンだったようです。
 また、テレサ・テンは彼を龔叔叔と敬称を付けて(日本語の「叔父」とは違う)と心を込め、敬意を払って呼んでくれたといいます。