「人生はステップ・バイ・ステップ」
ウーン、まあ、ノー・チョイスだからね。
でも人生はステップ・バイ・ステップだから
アメリカにいたのは無駄じゃなかったわ。そ
のステップがあったからこそ、いまパリにい
るわけだし…。パリにいると自由に発言できる
ぼくがテレサにいちばん聞きたかったのは
少女歌手時代の足どりについてだった。10歳
そこそこだったころのことを、例えば、中華
電台でコンテストに優勝したのは63年か64年
か、などと問われても、はっきり答えられな
いのも無理はない。ママだったら知ってるん
だけど、なんてつぶやきも洩らしていた。し
かし、初来日以前のことのあらましは、今回
ほぼわかったと言えると思う。
インタヴューの質問事項を準備するため、
むかしの録音をチェックしたりしてみて、少
女時代の彼女が驚異的なほど幅広くかつ柔軟
に、ありとあらゆる歌をこなしていたことに
いまさらながら感心した。自分でも、あのこ
ろは素直に歌っていたね、と認めていたテレ
サに、むかしの録音をCD化して日本の若い
人たち(ぼくの頭の中ではディック・リーと
かインドネシアの歌手たちに共感を抱くワー
ルド・ミュージック・リスナーを思い浮かべ
ていた)に聞いてもらったら興味を示すんじ
ゃないかな、と言ったら、そうね、いいかも
しれないね、とほほえんでいた。
そして、ぼくの頭には当然やはり美空ひば
りのことが浮かんだ。ひばりさんも若いころ
奔放に何でも歌いこなしていたのに、年を取
るにつれて音楽性の幅が狭くなった。歿後か
なり経ったいま、実は彼女は脱皮を目ざして
大木トオルに新曲を依頼していた、といった
話題が出て来ても、死んでしまった後ではど
うにもならない。さいわいテレサはまだまだ
若いし歌唱力は衰えていない。いや、依然と
してエルフィ・スカエシやへティ・クース・
エンダンと並ぶアジア歌謡の最高峰のひとり
だとぼくは信じる。アジア音楽がいま動き出
そうとしているとき、パリにいるテレサがそ
の動きに取り残されるとしたら、彼女にとっ
て残念である以上に、人類の音楽にとって大
きな損失だと言いたい。
もちろん、いままでトーラスでやってきた
日本語による歌謡曲オリジナルは、誰も真似
のできないテレサ独自の世界なのだから、そ
れはそれでファンのいる間は継続すべきだろ
う。そのかたわら、例えばこれまでもかなり
インドネシアの曲を取り上げているわけだか
ら、新しい感覚でインドネシア曲集でも試み
るといった、何か違ったことをもぜひやって
みてほしい。
コンサートも、85年末にNHKホールで行
なった公演のあとほとんどやってない。私な
んかもうトシだから若い人のステージのほう
がいいんじゃないですか、などとニヤニヤし
てバグラカしながら、ステージに立ちたい気
持ちと久しぶりに人前で歌うことへのためら
いとが交錯している様子だった。
いまなぜパリで暮らしているんですか、と
質問してみた。
パリにいるのは音楽の勉強のためにはいい
んだけど、生活はそんなに楽しくないです。
言葉もよくわからないし…。でも香港と離れ
てるから、天安門事件のことなんかがあって
パリのほうが自由に発言できます。香港は大
陸のコントロールの下に置かれてるから、私
が何か言うと香港の人たちに迷惑かけるでし
ょ。パリで、ラジオ・フランスの中国、東南
アジア向けの放送に出て、自分の意見を言っ
たり、自分なりに出来ることをしています。
――でも、ほんとは大陸で歌いたいでしょ。
もちろん。でも中国がぜひもっとよい方向
に変わってほしいですね。いまの状態だった
ら、行きたくない。大陸は自分の本土ですか
ら、里帰りしたいし、大陸のファンのために
もぜひ行きたいけど、ガマンしてるんです。
――パリにいれば、テレビなんかで、アフリ
カやアラブの人たちの音楽もやってると
思うんだけど、見たことありますか。
ときどき見てますよ。とても面白いです。
目が開かれた感じがします。
――日本の若い人たちもアフリカやアジアの
音楽を幅広く聞くようになっています。
そのような人たちのために、これからも
ぜひいろんな歌をうたってください。
はい、わかりました。
最後に、テレサから聞いた耳よりな話をひ
とつ。前に『淡淡幽情』の続篇の企画があると
聞いたけどそれはどうなっているのか、と質
問したら、続篇のための曲作りはかなり進ん
でおり、いつでもレコーディングにかかれる
状態らしい。前のが恋愛ものを中心にしたロ
マンティックなアルバムだったのと比べて、
続篇はもっと哲学的な奥深い詩が多く、曲も
力強い感じだという。ぜひ早く完成してもら
いたいものだ。
〔7月13日 虎ノ門・ホテル・オークラで〕
87ページ
(写真)
『淡淡幽情』(オーマガトキ SC6101)