銀座メイツでデビューライブ(1974年~)
ヤクルトホールでの「ファーストコンサート」よりも前に、新宿のライブハウス「ルイード」での数回のミニコンサートが良く知られていますが、前のページで示してある通り、渡辺プロダクション直営のライブハウス「銀座メイツ」から歌い始めていました。
デビューライブ
証言1
BS11:「あのスターにもう一度逢いたい テレサ・テンが生きた証」* サイトへの投稿
テレサのデビューライブ?を思い出しました
Kei Chan:2015/09/21(月)18:03
9月19日の放送開始1時間後の途中から見ました。芳野藤丸さんの話よかったです。バックバンドの一員で信頼されていた方なので興味深かったです。因みに、私はテレサの日本でのデビューライブと思われるステージを見ています。銀座のライブハウス**で恐らく初めて日本の観客を前にした有料ライブと思われす。開場2時間前に良い席をと早く行ったのですが、客は私だけ・・・開場時も私ひとり。東アジアのビックスターの触れ込みなのに、なぜと思いました。前座歌手が歌い終わって、テレサの歌唱時に客席には10人もいないように思いました。テレサの番組を見るとあのステージでの白いドレスを思い出します。初めはテレサも辛酸をなめたのです。http://www.bs11.jp/special/post-56/message_2.php より (URLは変わる可能性あり)
**サイト管理人 注1
*「銀座のライブハウス」は、当時の「銀座メイツ」、現在の銀座の「ケネディハウス」を指していると思われます。
BS11:「あのスターにもう一度逢いたい テレサ・テンが生きた証」サイト
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番組紹介
20世紀最後の大スター、テレサ・テン。
その歌声で人々の心を掴み、感動を与え続けました。日本のみならず台湾、中国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、北朝鮮でも絶大な人気を誇った「アジアの歌姫」です。
急逝した衝撃の日から長い月日が流れながらも、彼女が歌った名曲たちは今なお多くの人々に歌い継がれ、カラオケではリクエスト上位にランクイン。没後に日本で発売されたCDやDVDの売上総数は300万枚に近づいています。番組では、テレサ・テンさんを偲び、仕事で、私生活で、親交が深かった人々が一同に介し、素晴らしさを語り合います。
「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」・・・あの名曲の誕生秘話から、あの伝説のステージの舞台裏、プライベートの素顔まで。身近にいた人だから知っているエピソードの数々。ゲストが語る思い出話から、知られざるテレサ・テンの顔が浮き彫りになります。出演者・スタッフ
メインMC:宮本 隆治
アシスタント:玉木 碧【スタジオゲスト】
舟木 稔(元トーラスレコード代表取締役社長、財団法人鄧麗君文教基金会理事)
三坂 洋(元トーラスレコード取締役 エグゼクティブプロデューサー)
有田 芳生(ジャーナリスト、参議院議員)
野田 義治(株式会社サンズエンタテインメント会長)
王 東順(元フジテレビプロデューサー)
芳野 藤丸(ミュージシャン、テレサ・テンのステージ音楽監督)【VTRゲスト】
あのスターにもう一度逢いたい テレサ・テンが生きた証 |BS11
荒木 とよひさ(作詞家)
早見 優(タレント)
鈴木 章代(元トーラスレコード レコーディングディレクター)
鄧 長安(テレサ・テンの長兄)
証言2
ごく一般の人の自身の経験談。
私はテレサの日本でのデビューライブと思われるステージを見ています。銀座のライブハウスで恐らく初めて日本の観客を前にした有料ライブと思われす。開場2時間前に良い席をと早く行ったのですが、客は私だけ・・・開場時も私ひとり。東アジアのビックスターの触れ込みなのに、なぜと思いました。前座歌手が歌い終わって、テレサの歌唱時に客席には10人もいないように思いました。
2015/09/21(月)18:03 Kei Cha の BS-11サイトでの投稿
山崎イサオ氏の証言
下のテレビ番組映像では、「これはデビュー当時のテレサが歌っていたライブハウス、銀座メイツがあった場所。名前は変わったが現在もライブハウスとして営業している。歌手の山崎イサオ。当時、司会者として若きテレサとステージを共にしている。」というナレーションが流れます。
「デビュー当時」ということは、1974年・1975年ころに、銀座メイツで歌っていたことになります。
篠木雅博氏の証言
篠木雅博氏は次のように述べています。
「空港」の発表1974年7月1日以前のことということになり、1976年7月10日以降の新宿ルイード以前に銀座メイツで歌っていたという裏付けになります。(ただし、「彼女は20歳」の部分は誤りです。19歳のデビューと発表されていましたが、実際は21歳でした。)
僕は業界に入りたての頃で、洗足池の近くにあった作曲家、猪俣公章さんの自宅で、晩ご飯をごちそうになりながら曲作りの雑談をさせてもらっていた。
篠木雅博 歌い継ぐ昭和 流行り歌
ある日、できたばかりの曲を聞かせてもらったのが三連のリズムの「空港」だった。感想を求められたので「深夜の飛行機の離陸が目に浮かぶようだ」と答えた。歌うのは香港で有名なテレサ・テンだと言われた。
数日後、銀座のライブハウスに彼女が立った後、銀座のすし屋で紹介された。彼女は20歳。初々しくえくぼが愛らしく礼儀正しい。スラっとした容姿で、チャイナ服のスリットからのぞく足がきれいなものだから、恥ずかしながら新米の自分は緊張した。
万華鏡~ZAKZAK by 夕刊フジ
そして・・・
別の人が、銀座メイツでもらったというサインの写真がweb上にあります。
銀座メイツを経営していた渡辺プロダクションの名前の入った色紙で、1978年4月18日の日付が入っています。(数字の「7」には、テレサの癖が出ています。)
1978年ということは、1974年のデビューから4年後。1976年ころの新宿ルイードでのライブ活動や1977年のヤクルトホールの日本での本格的コンサートの後のこと。
ここでは人名は伏せましたが、元のサイトには、人名と銀座メイツで貰った他の歌手のサインの写真が掲載されています。
同じサイトにあるスケジュール表。この月にテレサ・テンの名前はありません。司会に山崎イサオさん(ヤクルトホールでのコンサートでMC)の名前があります。