3つの名前~鄧麗筠/鄧麗君/Teresa Teng

Teresa Teng(テレサ・テン)

 テレサ・テンの当初の芸名「鄧麗君」に、その後、英語的な、アルファベット表記のTeresa Teng」が加わりました。(日本では、日本の慣習としてそれをさらにカタカナ表記の「テレサ・テン」としました。)

 芸名「Teresa Teng(テレサ・テン)」は、クリスチャン・ネームの“Teresa(テレサ)”を採用したもので、「マザー・テレサ」に由来し本人が名付けたようです。

 次のような説明があります。

英語名のテレサ (Teresa) は、彼女自身が尊敬するマザー・テレサに因んでつけたものと言われてきたが、実際はカトリック信徒だった彼女の洗礼名を転用したことが明らかにされている。テンは本名の姓『鄧』の中国語音をウェード式表記し、英語読みしたものである。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/テレサ・テン


 この説明は、芸名Teresaがマザー・テレサに起因することを否定することにはならず、逆に言えば、マザー・テレサにちなんだクリスチャンネームのTeresaを気に入って、芸名にも使ったと考えられます。

 テレサ自身は、次のような文を書いています。(下部には「テレサの直筆」とあります。)

Teresa is name after
Sister Teresa becaus of
her contubution
to the poor people. (原文ママ)

(日本語訳)
テレサは、貧しい人へ手を差し伸べたマザー・テレサにちなんだ名前です。

 ここでいう、nameが芸名のことなのか、クリスチャンネームのことなのかは、分かりません。どちらにしても、テレサ・テンはTeresaという名前を好意的に受け取っていたと考えられます。

 数多くのサイトで、そろって
芸名「テレサ・テン」はクリスチャン・ネームの“テレサ”を日本デビュー時にそのまま採用した
という記述を見かけますが、サイト間で記述のコピーが連鎖した結果でしょう。そして、「Teresa Teng(テレサ・テン)」が1974年の日本デビュー以前には全く使われていなかったというのには疑問が持たれます。

 英語的なアルファベット表記の芸名Teresa Tengについて、使用開始時期をGemini(AI)に尋ねたところ、以下の回答を得ました。(2025/10/05現在)

The English name Teresa Teng began to be used in 1970, when she made her Hong Kong debut at age seventeen. It was adopted as her name in English-language discourse, and was also a stage name she used for her career in Hong Kong and Japan.

 たしかに、日本デビューの1974年まで、英語も使われる香港で「鄧麗君」のみが使われ、日本デビューのために「テレサ・テン(Teresa Teng)」が芸名として加わったというのは不自然です。「鄧麗君」は日本人にとって馴染のない漢字を含みますが、欧陽菲菲は漢字はそのままで、オーヤン・フィフィという読みも日本人に定着しました。(ジュディ・オングやアグネス・チャンは漢字表記の芸名ではありませんが。)
 ただし、1970年に「Teresa Teng」が使われ始めたことを示す証拠を、当サイトは持っていません。

 日本デビュー前に香港でリリースされたレコードのジャケットで、アルファベットの名前が書かれているものを探すと、1972年・1973年に該当するものがあります。(いずれも、THERESA TENGと綴りが間違えている理由は分かりません。)

 これらのアルバムでも「鄧麗君」が大きく書かれていますし、他のアルバムには英語名は書かれていません。
 確かに、日本デビューのころまでは、Teresa Tengという英語名は香港でもあまり使われず、馴染みもなくて、そのため、THERESAという綴りの間違いを指摘されなかったのかも知れません。

 Digital版日刊ゲンダイのテレサ・テン没後30年 極秘取材メモを解く (23)歌のうまい少女が大スターの道を歩み始めた に、以下の記述があります。「母親と相談して芸名を決め」たのが、香港・利舞臺(the Lee Theatre)との契約後だとは分かりますが、正確にいつなのかは、書かれていません。利舞臺での最初のコンサートは1976年3月ですので、この少し前と考えられます。

 1925年に建設された「香港LEEシアター」と契約した彼女は、母親と相談して芸名を決める。趙素桂は語った。

「香港を中心に本格的に歌手として活動していくとき、クリスチャンネームと本名を組み合わせました。テレサと鄧(テン)で『テレサ・テン』です」

 レコードも「鄧麗君」と同時に「TERESA TENG」と表記されるようになった。歌手テレサ・テンの誕生である。

テレサ・テン没後30年 極秘取材メモを解く
(23)歌のうまい少女が大スターの道を歩み始めた

 この記述(証言)によれば、Teresa Tengという二番目の芸名は、香港での活動を意識して用意されたようです。
 なお、1973年4月17日、香港で、日本ポリドール・レコードと契約を結びましたが、そのときの名前は「鄧麗君」とのみ手書きされています。どこでも通用する、メインの芸名ということでしょう。

  さすがに、1976年3月のコンサートでは、「鄧麗君」と「Teresa Teng」が看板やチケットで併記されるようになりました。

2025年10月7日PROFILE,Trivia

Posted by diva-teresa