週刊朝日「生誕70年 テレサ・テン」(2023年)
テレサ・テンを
忘れないで
そんな状況であったが、中国本土でテレサの人気が少しずつ盛り上がっていた。そして83年、小林幸子の歌をカバーした「ふたたびの」で日本での再デビューが決まった。「日本では中途半端になっていたので、再度しっかり音楽をやりたいという気持ちは、僕はもちろん、本人にもありました」
実は舟木さんはポリドールを出て、トーラスレコードという会社を設立していた。そこでテレサをもう一度送り出したのだ。ただ、できたばかりの会社にはお金がないので、テレサは基本的に香港にいて、プロモーションなどのときだけ日本に来てもらうことにした。
「そりゃ、忙しいですよ。でもね、それをテレサはとても喜んでいた。以前よりね。だから、僕も力が入りましたよ」
そして再デビューの2曲目が「つぐない」だ。
シンガポールのスタジオで録音した際、ミキサーの半田克之さんは本番OKのあと、感動でしばし顔を上げることができなかったという。
ディレクターを務めた福住哲弥さんによると、テレサの歌入れほど難しく、同時に楽しいものはなかった。まず、日本語歌詞の意味合いを理解してもらった上で発声を含めて日本的に表現してもらった。歌唱力があり、さらに感情の動きを絶妙に表現できるのがテレサの魅力であり、他の歌手にはないと強く感じていた。
「つぐない」は大阪の有線放送からじわじわ火が付き、ついにはその年の有線大賞を受賞した。「愛人」「時の流れに身をまかせ」と「日本有線大賞」「全日本有線放送大賞」で3年連続大賞・グランプリを受賞するなど快挙を成し遂げ、その後の活躍はあまりにも有名だ。
しかし、90年代になると体調を崩し表舞台から去り、静養をするようになった。そして95年5月気管支喘息の発作による呼吸困難で、帰らぬ人となった。42歳だった。生きていたら今年1月29日で70歳を迎えたのだ。
あらためて舟木さんに魅力を聞くと、「歌がうまい人っていっぱいいるんですよ。でもね、テレサは天性の優しく美しい声質を持ち、歌唱だけではなく歌詞の意味合いをもよく理解した。情感を込めて歌い、聴く人にリアリティーを感じさせて、多くの人を魅了しました」
ただ、もし自分が放ったらかしていたらテレサはなかったかもしれないとも続けた。確かに、テレサにはいくつか大きな壁があったが、そのたびに舟木さんがその壁を打ち砕いてきた。
「時の流れに身をまかせ」の歌は男女の恋愛の歌だが、その歌詞はテレサの舟木さんに対する愛と信頼にも思える。時の流れに身をまかせ、舟木さんについていき、そして大スターへ昇華した。
「僕はね、テレサに出会えたことを、本当に運が良く幸せだったと思っています。だからテレサのことをずっと語り続けてほしいです。そしてずっと歌い継がれてほしい。いつも心からそう願っています」
本誌・鮎川哲也
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