「テレサはアジアの共通言語だった」篠崎 弘

 「永遠の歌声~テレサ・テン Vol.2 ~中国語曲のすべて」のライナーノートの文章です。

テレサはアジアの共通言語だった
●篠崎 弘 (ジャーナリスト)

 テレサ・テンが亡くなったという新聞記事は、日本ではずいぶん小さなものだった。日本の全国紙の基準からいえば、社会面で三段、もしくは写真込みで四段という記事は歌手の死亡記事としては決して小さな扱いではないし、ジャーナリズムの世界に身を置くものとしては納得できないものではなかったのだが、それでも彼女のアジアにおける存在の大きさをよく知るものとしては不当に小さな記事に見えてならなかった。
 案の定、しばらくしてから新聞に「台湾での彼女のお葬式の規模やファンの悲しみ具合の深さを知って、初めてテレサの偉大さを知った」といった投稿が載り始め、今度はわが意を得た思いをすると同時に、テレサの真価を十分に日本に紹介できなかったことの悔しさをあらためて噛み締めることになった。
 「アジアからやってきた一種の出稼ぎ労働者で、当初は目先の変わったアイドルとして売ったがやがて歌唱力を評価されて安定した人気を得るに至った演歌歌手」。日本でのテレサの一般的なイメージは、たぶんこんなところではなかったろうか。さらにもう少し詳しくイメージを探れば、「昔、旅券の偽造事件などを起こして騒がれたこともある、アジアからの不法労働者たちの先駆けのような歌手」とか、「それまでの泥臭いド演歌のイメージを変えて、若い女性たちにも歌えるソフトな演歌を生み出したカラオケの定番歌手」といった像も浮かんでくるかもしれない。彼女のヒット曲につけられた「不倫三部作」といったキャッチフレーズを覚えている方も少なくないだろう。彼女が三年連続で受賞した有線放送大賞は、その年にたとえどんなロックやニューミュージックの曲が大ヒットしようと、なぜか決まって演歌の作品に送られるのが常だった賞であることを知っている人もいるだろう。
 要するに「アジアからの出稼ぎ演歌歌手」。結局のところ、 日本におけるテレサのイメージはこれに尽きた。そし

てそれにふさわしい扱いが、社会面で最大三段という死亡記事だったのだ。
 だが、先の投稿の主が初めて認識した通り、アジアでのテレサの存在の大きさは、日本では計り知れないくらいに大きなものだった。アジアの華人(中国系の住民)で彼女のヒット曲の二、三曲も知らない、歌えないという人はいないのではないか。台湾、中国、香港、マレーシア、シンガポール。あらゆる国・地域の華人社会とその周辺で、彼女はスーパースターだった。ポップスは社会資本の蓄積がある段階を超え、大量生産と大量消費の構造が音楽にも成立して以降に発生する音楽の形態だ。ラジオという一方通行のメディアの時代から一歩進んで、カセットテープレコーダー、あるいはCDという機材が発達して音楽が個人のコントロールのもとに自由に消費される時代が訪れて以降に限れば、テレサは最大の歌手である。つまりそれはとりもなおさず、彼女が史上最大の歌手であったことを意味する。むろん、これから先どんな人気歌手が現れるかは予想できない。だが価値観の多様化に伴って音楽の趣味も多様化し、市場が細分化されてかつてのようなモンスターヒットが生まれづらくなることだけは確かだ。だから、テレサは過去最大の歌手であったと同時に、今後もそう簡単にはその座を明け渡すことのない不世出の歌手であったともいえるだろうと思う。彼女は間違いなくアジアのスーパースターだった。
 例えば、アジアの初めての国で空港から市内へのタクシーに乗るとする。運転手が華人で、しかも無口だったらどうすればいいか。市内への道を楽しく過ごし、市内の情報を仕入れ、しかも料金をボラれずに済ますにはどうしたらいいか。
 テレサの歌をハミングすればいいのだ。「空港」でも「夜のフェリーボート」でもいい。ハミングに気付いた運転手は必ず話しかけてくる。「あんたはその歌を知っているのか」「もちろん、大好きな歌だ」
 これで十分だ。運転手はにわかに相好を崩して、あとはテレサ談義、音楽談義に花が咲く。市内への道の渋滞も気にならない。あちらはあちらの言葉で、こちらは日本語で、ちょうど台湾と日本の歴史のように、時にはハモり、

時には不協和音を奏でながら、テレサの歌を一緒に歌っているうちに、車は目的地に着く。
 他の話題ではこうはいかない。食べ物の話は盛り上がりそうに思えるが、なかなか深くならない。「あんたはドリアンは好きか」「好きだ」「そうか、でもあれは臭くてなあ」で終わり、時間がもたない。所詮、独特のアジアの食は言葉で表現し得る世界ではないのだ。映画や芝居や文学や美術の話は知識が要るし、共通の面白みを互いに確認するには相当の語学力が必要になってくる。相手がその話題に興味を示す可能性も低い。スポーツの話題だと五輪やアジア大会の試合の組み合わせとその結果によっては喧嘩になってしまうことさえあり得る。
 その点、音楽は実に都合のいい意思、疎通の手段なのだ。言葉が通じなくてもいい。メロディーさえ一致していれば、歌詞はうろ覚えでもかまわない。なにしろ敵は日がな一日カーラジオをかけっ放し。流行歌に関しては街で一番の専門家なのだから。
 そして、そんな時、ハミングするのに一番いいのがテレサの歌だ。台湾を初めて訪れた時、乗ったタクシーの運転手に「テレサが好きだ」というと、さっそくコンソール・ボックスから彼女のテープが出てきた。「我只在乎你(時の流れに身をまかせ)」「愛人」が次々に流れて、車内は時ならぬテレサ・カラオケ大会になった。
 面白かったのは、運転手がそれらの曲をいずれも台湾の曲と信じて疑わなかったことだ。作曲者が三木たかしや井上忠夫、猪俣公章らであり、荒木とよひさや山上路夫らの日本語の歌詞もついてテレサが最初は日本語で歌った歌なのだといっても信じない。
 同じような体験を香港でもした。テレサの歌は台湾の曲として愛されており、香港の歌手のカバーでヒットした場合も元歌は台湾の曲と考えられていた。どの国・地域でも共通だったのは、テレサがそこの人々の歌心を一身に預かり、背負っている歌手だということだ。
 台湾、香港といえば、「二つの中国・あるいは「三つの中国」といった言葉で表現される政治上の事情をかかえている地域である。その住民は国境という便宜上の境界線に引き裂かれて故郷

や出自、存在理由の喪失の危機に直面しながら、テレサという不世出の歌手の歌に一つの思いを託している。その歌声の向こうに彼らが追い求めているのは、「独立」でも「返還」でも「統一」でもなく、ただひたすら華人としてのアイデンティティーである。
 つまり、テレサは日本でこそ単なる演歌歌手だったかもしれないが、アジアでは十数億にも及ぼうかという華人社会を一つに結ぶ文化的アイデンティティーの巨大な象徴だったのだ。我々日本人はテレサの本当の顔を知らなかった。
 ほかにも日本人が知らないことがアジアにはたくさんある。たとえばテレサが歌った「非龍非彲」。元歌は「夜霧のハウスマヌカン」だ。哀愁を帯びてはいるものの基本的にはコミック・ソングであるこの歌が、テレサによってアジアで知られたヒット曲になっていることを、日本人は知らない。同様に、彼女を通じて、たくさんの日本の歌がアジアに広まっている。
 日本の文化はアジアではどうしても憧れと反発との両面性をもってしか受け入れられない。背景に経済や政治や歴史が見え隠れしてしまうからだ。日本の文化がそれ自体の価値のみで受け入れられ、素直に評価されることは少ない。それはそれでこれまで日本がアジアに対して行ってきたことの対価なのだから仕方がないのだが、そうと理解はしつつ我々は日本の文化がアジアの国々に文化それ自体の魅力と価値をもって受け入れられることはないかと心のどこかで期待している。その期待を日本人の知らない場所で実現してくれていたのがテレサだった。
 自分のそういう役割をテレサはよく理解していた。有線放送大賞を連続して受賞していた頃、彼女はこういっていたことがある。
 「日本でレコーディングして、宣伝してもらって、しばらくしてそれを台湾や香港でもレコーディングして、アジア全体に聴いてもらう。そういう仕事をさせてもらっている今の自分の立場にはすごく満足しています」
 東南アジアを歩くと、日本への反発をあからさまに示す人の多さにしばしば圧倒される。だが一方で日本への憧れを目にする若者の多さにも驚かされる。日本による植民地支配の時代を思

い起こさせるからと日本文化を排斥する年配者たちの動きがあるその一方で、日本文化は何でも素敵、と公言して年配者たちの眉をひそめさせる若者も増えている。だが、目に見える現象は反対であっても、日本の文化を文化それ自体として受け止めてはいないという点では彼らは共通の地平にいる。つまり前者は日本文化を歴史の象徴としてとらえ、後者は文化を経済発展や自由な社会の象徴として見ているのだ。どちらの場合にも文化は何かの従属物になっている。
 だが、テレサがアジアに広めてくれたポップスは違う。日本の歌であるということを知らずに、アジアの人々はそれらの歌を口ずさんだ。つまり、反発や憧れの地の従属物としてではなく、歌それ自体として受け入れ、覚え、好きになってくれたのだ。前にも述べたが、こんなことは食文化や映画や芝居や文学や美術の世界では不可能だ。ポップスにこそ可能な出来事なのだ。
 テレサは華人社会のアイデンティティーの巨大な象徴だった。そして日本の歌のアジアへの紹介者でもあった。そして彼女は最後まで「出稼ぎの演歌歌手」というイメージを背負ったまま世を去った。我々は彼女に大きな借りを作ったままなのである。

「永遠の歌声~テレサ・テン Vol.2 ~中国語曲の全て」

2021年3月24日Articles,Words

Posted by teresateng