新宿ルイード(1976年~)RUIDO

第1回~ライナーノートの記述

テレサ・テン3回忌メモリアル"秘蔵Live"  

 これは、テレサ・テンが大切に所有していた テープだ。再生してみると1976年7月の新宿ル イードでのLIVEが収録されていた。ヤクルトホ ―ル(初めてのワンマンショー)より1年以上前にあたる。 
 私は、当時ステージに上がった豊岡 豊氏とギタリスト兼編曲家の岡本和雄氏に会って話を聞くことが出来た。 
 「おはようございます」ジージャンにジーパン、 洗いっぱなしの髪、素顔のままのテレサ・テン は衣装、化粧品等の他に、ギターとフルートの ケースを持って付き人とともにやって来た。 
 音合わせが始まりやがて、ジャンパラーヤが始まった。テレサがフルートを吹き始めると一同 びっくりした。プゥーピープゥーピー、ピューなの である。 
 が、豊岡 豊氏始めメンバーはやさしく見守 っていた。テレサの冒険は歓迎されたようだ。  夕方近くの開演。小雨のせいか、客足が遅い。ステージの上には豊岡 豊とスウィングフ ェイス(Drums, Bass, Guitar, Piano, 4トランペ ット, 4トロンボーン, 5サックス, Guitar岡本氏) 既にぎゅうぎゅう詰め。 
 テレサ・テンが登場へ黒いチャイナ・ドレスの深いスリットからのぞく綺麗な脚、少しだけウェーヴのかかったセミ・ロングの髪、彼女は輝いていた。
 「後ろから見ていてもグッとしたね」豊岡 豊氏は当時を思い出しながら笑った。 
 まばらな客席には母国からの応援団の姿も見える。心強い。この日の為にテレサは『五木 の子守唄』『夕焼け小焼け』『My Way』『明日 に架ける橋』を新しく選曲していた。
 1973年来日時には―言も喋れなかった日本語もデビューから2年で、かなり上達していた。 勿論軽妙なジョークのかげには、いつもノートとペンを持ち歩き、日本語を勉強していた彼女の努力があった。 

  ルイードの話と同時に香港のリー・シアター (3000人収容のホールで3日間のステージ)で のワンマンショーの話が進行していた。 
 台湾をはじめ、アジアのあちこちで、大スターだった彼女、だが日本では第一歩から始まる 新人歌手。心のどこかにいつでも、そのギャップに対するジレンマがあった。 
 『グットバイ・マイ・ラブ』はそのコンサート用の譜面だった。テレサが、歌のタイミングを間違えているのははやる気持ちからか、ご愛嬌。 
 若き日の歌姫は、負けず嫌いでキュートな天才と呼べよう。   
                        トーラスレコード制作担当:鈴木章代 

2024年11月3日1970,Concerts

Posted by teresateng