新宿ルイード(1976年~)RUIDO

3月19日のルイード

猛虎過江 鄧麗君④(1977年3月19日  新宿 RUIDO)」での記述です。
 たいへんに貴重な記録です。リンクしてそちらで読んでいただくべきなのですが、万が一…万が一、元サイトが閉じられたりした場合に備えて、こちらにコピーしてアーカイブ化させていただくことにしました。

鄧麗君(テレサテン)が、新宿のライブハウス”RUIDO”で
ミニ コンサートをやっているという事を、当時、小生の
友人の山本さんから聞き、彼とよく待ち合わせして
RUIDOに足を運びました。
彼は、趣味で、本格的な録音機で、このミニ コンサートの
模様を録音しており、彼女の事なら大概わかるほど熱烈な
ファンです。
小生も、彼の影響で 小型のカセットレコーダーで
録音するようになりました

録音テープの一つ目は、1976年10月30日、19:20~
22:00 と書かれており、彼女が、入国ビザ書き換えのため、
日本の最後のステージとメモってありました
(1976年7月に、RUIDOで、最初のミニ コンサートが、
 開催されたようです。当時、テレサ23歳)

2つ目は、1977年、2月22日、”ふるさとは どこですか”の
LPが発売される前!のステージと記してあります。
(このミニコンの前日の2月21日、”ふるさとはどこですか”の
 LPが発売されていたようです)

3つ目は、77年、3月19日のミニ コンサートの模様が
録音されており、今回、第1部の最初の開演から終演までの
触りの部分だけ書きおこして再現したいと思います。

(このミニ コンサートから、約1ケ月後、彼女の、日本での
 最初のファースト コンサートが、新橋で開催された)

ここ、RUIDOで行なわれる彼女の実況ライブは、回を重ねるごと
観客が、多くなっていったように思います。
彼女と同年代の日本のファンや、台湾、香港、在日華僑のファン等
生の彼女の歌が、聴ける事など、今、考えるとかなり贅沢な
事であり、ラッキーな事と思います。

約1時間のステージで、歌を歌った後、お客様と直接、彼女の
近況の事を話したり、リクエスト曲を受けたりしてとても良い
HOTな雰囲気がありました。
客からのリクエストは、日本の歌、英語の歌、特に北京官話、
広東語!など中国語のリクエストが多かったように思います。
又、たどたどしい日本語がよかったです。

鄧麗君④(1977年3月19日  新宿 RUIDO)

オープニング
(岡本和雄バンドマスターの指揮によるフルバンド!演奏)

空港、女の生きがい、雪化粧、を熱唱

どうも ありがとうございました
みなさん こんばんは!
ようこそ いらっしゃいました
わたしが、テレサ テンです

エ~、ほんとに 今日 エ~ 寒いところで きて戴きまして
ありがとうございました
今日のステージ 皆さんといしょに楽しんで行きたいと思います
どうぞ ひとつ よろしく よろしくお願いします(拍手)

次の曲は、みんなー お馴染みのー お馴染みだねー(笑)
そうですねー 双葉ー百合子さんの「岸壁の母」を歌います(拍手)
そして もう一つは お馴染み 皆さんとお馴染みの
「港町ブルース」を歌います

それから もう一曲はね~ お馴染みじゃないのー(笑)
私の国の曲なんですけど ”阿里山的故娘”~
阿里山~ 阿里山は 一つ山の名前なんですが~ 故娘は、
娘さんという事は~ 阿里山に住んでいる娘さんという事です

ステージでは”岸壁の母”港町ブルース”阿里山的故娘”を
熱唱する
(港町ブルースは、中国語、日本語で歌い、阿里山的故娘は
勿論、中国語で歌う、途中、彼女は、ステージから観客側に
進み出て、観客と1人1人握手をする)

歌が終わる(拍手)  謝謝!

どうもありがとうございます! 謝謝!

エーと、アノ~ それでは 次は~ 今聞いて頂きましたのは
あたしのふるさとの歌でしたが 次は 日本語の民謡の
ふるさとメドレーを聴いてもらいたいと思います
ぜんぶ 民謡じゃないですから~ ようするに
ふるさとーアノ~ ちょっとうかがいます~
(観客の男性客のほうに歩み寄る)

アノ~ こんばんわ! 
おたくの故郷はどこですが? ハイー
ア” さいたまーですか?? (爆笑)
なにが おかしいですか?(笑)
なんたっけかなー
エー ”スイツケテ”違うのかなー
アー違う~ アー ごめんなさい!
がんばっぺー 違う
スイツケテ~ ですね 埼玉の方言は~ 違うですか
”ちかれたビー・・・・・
(方言の話が盛り上がり、かみあわないままま会話が進む)

観客に握手しながら、しばらく楽しいやりとり続く

ステージは、民謡メドレーを軽テンポで歌ってゆく
(木曾節、旅姿三人男、秋田の民謡、襟裳岬、りんご追分)

(歌が終わり 拍手)

どうも ありがとうございました~
最後は、青森のりんごーーー え~と でした(爆笑)
それでは~ アノ~ 次はー チョット いままでと 
いままで やぱり演歌とかね~ 日本の代表の曲だったですが
今度は 一つ~ にぎやかでいきましょう~ 
あの~ 英語の曲 いきましょう

アノ~ すいませんけど フルートは ないですね?
ア~ じゃー 今日は いいです
この曲の次は、”幸せの黄色いリボン” 黄色いリボン~
??? 黄色いリボン~ で 2曲続けて聴いてください

ステージでは、ジャンバラヤ、黄色いリボンを熱唱する
(アシアン ENGLISH で歌う彼女の英語の曲は、GOODです)

Thank you!  
どうもありがとうございました 謝謝!
エーと 日本の曲 英語の曲 聴いていただきました

ところで みなさん もし 何か 質問とか りクエストとか
あったら 云ってください

Question!

(男質問)「ごちそうさま!」ですね~出たとき、作った料理は~

(鄧麗君)あのね~ 中国語ですか?
     HON SYAO PAI KU~~ (???)
     (質問者、日本人のようです、謝辞をいう)
     どういたしまして~
     あれは~ スペヤーリープの 要するに 骨付きの
     豚肉の~醤油煮込みのやつ(爆笑)

     あと~なにか~ 質問ありますか?あの~
     すいません~ この会場の明かりは 明けてください
     お客さんの顔 よくみえるから~

(男質問)晴れ着を着た撮影会のことを聞く(多分)

(鄧麗君)その時、ネ~ 実は、事務所の渡辺プロダクションの
     晴れ着の撮影だったんです
     それで みんな着物を着て エ~ アノ~
     TVの~「3時に会いましょう」の取材があったんです
     それで~???(少し間があいて) 以上です!

(女質問)いつ帰るのですか?

(鄧麗君)そうですね~
多分1月15日?くらいです
まだはっきりしてないですけど~ 謝謝!
     ハイ~ どうぞ

(男リク)Ha-i~テレサ! 雨夜花をやって!
     テレサ! HEI HEI HEI 
     テレサ! Good bye my Love! の中国語の
     再見!我的愛人!を歌ってください

(鄧麗君) 好的!わかりました

(男質問)カレンダー 出さないの! 

(鄧麗君)カレンダー 晴れ着の ア~ 出さないですね~
     会社に言ってきました~

     お客さんがね~、ここ暑いですね~ もうチョット 
     冷房~、冷房いれて下さい~
     なにか ほかに註文ありますか~(笑)
     水割り ちょっと薄いとか~(爆笑)
     そんな事無いか~(爆笑)

(男リク)麻生よう子 の「逃避行」歌ってくれる! 

(女質問)向こう(香港!)で出したLPがほしいですが?

(鄧麗君)シングルですか みんなLPなの LPしか
     出してないの~
     向こうのLPがほしいなの?
     わかりました! 
     それでは、向こうの 横浜の中華街の
     レコード屋さんにあります(笑)
     ほんと 冗談じゃないですよ~
     このあいだ 行って来た~ びっくりしました!
     テレサ テンばっかりでした(大爆笑)
     すいません!

(男質問)あなたは美しい! といいたいのか(多分)

(鄧麗君)HEN MEI!!  ?? 很美!ね
     びっくりした ヘンだと思った 美しいね
     それだけ!(笑)
     あとスタイルとか、(爆笑)

(観客の皆さんと握手しながら冗談をとばし場内を沸かす)

リクエストをまとめ、エレキギターの生伴奏で
逃避行を即興で歌う
少ししか覚えていないのであるがよかったです
次に、「雨夜花」を中国語で歌う
それから台湾の”HEI HEI HEI”を歌う
(多分台湾語!で、 リクエストした男性と一緒に歌う)

(鄧麗君)どうも ありがとうございました~
     上手いですね~
     あ そうか~ 台湾の人か?

     你是台湾人呢……..どうたれこうたれと早口の
     中国語で、親戚の人と話しているような感じで
     会話が弾んでいます
     話が止まらない状態で二人の会話が盛り上がり
     我々は、笑って、楽しそうな彼女の表情を
     見ていました
     観客も、あまり熱が入って会話しているので
     日本人の人が、”会話全然わからないよ”と
     いうと、”解かる訳無いよ~”などと、冗談を
     とばし、また爆笑の渦が沸く

話が終わり、「再見!我的愛人!」「夜來香」を即興で熱唱する

リクエスト曲を歌い終り、彼女が今日覚えたばかりだ
という”人間の証明”のテーマ曲を熱唱する
(当時、この映画が、流行っていたのであろう)

ミニ コンサートの第1部の終わりの曲は、発売中の
”あなたと生きる”を歌い、そしてさらに
”ふるさとは どこですか”を歌って拍手喝采のなか
前半の楽しいひと時が、終了しました
少し休憩をはさんで第2部も、このまま居座って聞く
ことができますが、我々も欲張らず、この心地よい
空間を提供してくれた”RUIDO”に感謝し
RUIDOを後にし、友と新宿の街に飲みにいって
2次会(近くのコンパ)で又、鄧麗君の話をしました

山本氏によると、鄧麗君が、一番お気に入りの
黒い生地で、金銀!の鳳凰がデザインされた
チャイナ服が、香港でのコンサートでなくなってしまい
かなりがっかりしていたなど、熱烈ファンでなければ
わからない情報を教えてくれました

(このコンパは、小生のお気に入りで、八代亜紀を
 かなり若くした感じの素敵な目をした女性がおり
 当時、小生も気取って、バイオレット フィーズなど
 註文して 1人悦に入っていたように記憶してます)

このミニ ライブの約1ケ月後、4月22日に、
鄧麗君の日本でのファースト コンサートが、新橋の
ヤクルトホールで開催された
残念ながら、小生は、観に行けなかったです
友人の山本さんは、このコンサートの会場の入り口の
荷物検査をうまくスルーして、見事コンサートの模様を
録音したテープを小生にプレゼントしてくれました
録音技術も良く、今でもチャンと聞くことができます
ありがたい事です

さて、ずるずると雑文を書いてきたが、今回、彼女の
ミニ コンサートの模様を何とか、文字にして書きましたが
自分が思い出せばいいという気持ちで書いたので
これを読んだ人は、当時の模様を再現できないとは思います
(小生の文書力の低さに原因ですが~)

今にして思うに、彼女が一ヵ月後のコンサートをにらんで
かなり本番モードで歌っているように感じました
このコンサートにも、多分、POLYDOR の会社の方が
来ていたように記憶しています

それから、当時、考えもしなっかたし、気がつかなっかた
彼女の素晴しさや、プロに徹した気配り、本当にお客様に
楽しんでもらうには、どうしたらよいか?という
細かい事が、観客とのやり取りのなかで感じました

彼女自身、小さいころから、いろんな国、場所で歌ってきて
何百回!というほどの場数を踏んだ体験から自然に身に
つけたものであるには違いないが~

本当に、中華圏及び、アジア圏を代表する歌姫、鄧麗君は、
天才であり、偉大であったと
あまりにも早く、我々の前を走り去っていってしまった
残念である。。。

再見!鄧麗君小姐!

鄧麗君④(1977年3月19日  新宿 RUIDO)

2024年12月20日1970,Concerts

Posted by teresateng