「先生に鞭で叩かれた」~『ゼロサン』1991年11月号

 1991年11月3日発行の「1991 ゼロサン11月号」からの引用です。
 雑誌では冒頭のタイトルが赤色である以外、本文はすべて黒色ですが、ここではテレサ・テンの語った部分を「紫色」で示してあります。

テレサテン
アジアの歌姫、流浪のスーパースターの遠い道のり

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日本で、中国で、台湾で、ベトナ
ムで、国境を越え、イデオロギー
を超え、そして言語までも越えて
テレサ・テン(鄧麗君)の歌は
人々に愛されている。ワールド・
ミュージックブームと言われて
いる昨今だが、その元祖とも言う
べき成功例が実は身近にあったの
だ。ふたつの祖国、台湾と中国の
政情の変動に翻弄され続けたスー
パースターの肉声をリポート。


       弓狩匡純=文/松本康男=写真

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 中華人民共和国製の寒暖計は、摂氏36度を示
したまま、悠長に午睡を決め込んでいた。ベト
ナム南部・ホーチミン市、千紫万紅の如く路肩
にしゃがみ込んだ露天商たちが、勢い良く往来
を駆け抜けるシクロと名付けられた人力車に煽
られ僅かに活気を取り戻す。かん高い罵声が暫
し飛び交い、乳飲み子の泣き声がその後を追う。
静から動へ、喧騒が倦怠に取って代わり、澱ん
だ大気がのっそりと寝返りを打つ南国特有の営
みが、あの日も飽きることなくただ漫然と繰り
返されていたに過ぎなかった。
 4年前のことである。初めてこの地を訪れ、
チョロン地区と呼ばれる中国人街をこれといっ
た目的もなく彷徨い歩いていた私の眼差しは、
闇市の片隅に並べられた一巻のふるぼけたカセ
ット・テープに釘付けとなった。「鄧麗君・影
視名曲精選」

「その歌い手ならば絶対にお勧めだよ。それに
このテープはここら辺じゃあ絶対に手に入らな
い貴重品だからねぇ。3ドルでいいよ。あんた
日本人だろ。おまけして2ドルならどうだい?」
 数メートル先で井戸端会議に頭を突っ込んで
いた白髪の老婆がいつの間にか私の背後に擦り
寄っている。隣国タイの通貨である70バーツと
いった値札が張られたままになったその粗末な
ジャケット写真には、真珠のピアスを身に付け
た色白の美女が艶然と微笑む姿が映し出されて
いた。鄧麗君ことテレサ・テン。全曲北京語で
綴られた彼女のベスト・アルバムが、西側諸国
からの経済封鎖に苛まれ、世界最貧国の烙印を
押されてしまったこの国の店先をも、淡々と飾
っている。
“何故あのテレサの作品が社会主義国であるベ
トナムに?”
 東アジア全域で圧倒的な人気を誇り、今や伝
説の域にまで達しつつあるアジアの歌姫、鄧麗
君との偶然とも言える邂逅は、むせ返るような
タマリンドウの芳香と共にそれ以来、私の脳裏
に焼き付いたまま決して離れることはなかった。

「1991 ゼロサン11月号」

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Posted by teresateng