3つの名前~鄧麗筠/鄧麗君/Teresa Teng

鄧麗筠 (幼名 丫頭)

 テレサ・テンの本名は鄧麗筠です。本名が決まるまでは、丫頭と呼ばれていたようでした。

鄧麗筠

 蕭之華氏が書いた「蘆洲翠竹鄧麗君」と題するブログ記事(当サイト内に日本語訳を加えて転載)は、まだ10歳ほどだった鄧麗筠が、知り合った大学生に、自分の名前の「筠」が珍しい漢字で発音を聞いただけでは分からないと、当てさせる場面があります。

(日本語訳)
「わあ! 蕭おじさん! 本当にすごいわ。私の名前を当てたのはあなたが初めてよ!」彼女は喜びのあまり席から飛び上がり、手を離して名札を見せてくれました。
「見て、鄧麗筠、当てたわよ!」彼女は名札を指差して、私よりも嬉しそうでした。
「鄧麗筠! 素敵な名前だね。誰がつけたの?」私は彼女の名前を読み上げて尋ねました。
「お父さんです」と鄧麗筠は答えた。
「お父さんは本当に詳しいわね。この『筠』ってどういう意味か知ってる?」と私は尋ねた。
「ええ、竹の意味です。お父さんが教えてくれたし、先生にも教わりました」と鄧麗筠は答えた。
「じゃあ、これからは鄧麗竹って呼ぶよ」と私はまた彼女をからかった。
「だめ! だめ! 鄧麗筠って呼んでほしいの! 大嫌い!」と彼女は口を尖らせた。

https://zh.wikipedia.org/zh-tw/鄧麗君には、以下の記述があります。

(DeepLの日本語翻訳を手直ししたもの)
1953年1月29日の早朝、テレサ・テンは台湾雲林県褒忠郷田洋村(現在の褒忠テレサ・テン幼少期の故居)に生まれた。父の鄧樞は河北省大名県大街鎮鄧台村出身で、第二次国共内戦により中華民国政府と共に台湾へ移住した国軍将校であった。母・趙素桂は山東省東平県出身である。両親は満一月前の乳名を「丫頭(ヤトウ)」と名付けた。一月後、鄧父は部隊内で学識のある楊姓の軍人に依頼し、「麗筠(リーユン)」と命名した。これは「美しい竹」を意味する。「筠」の字は本来「雲」と読むべきだが、家族や近隣住民は「均」(君と同じ音)と発音したため、「鄧麗君」が後に彼女が歌手の道に進む際の芸名となった。彼女は四人兄弟の四女で、三人の兄と一人の弟がいる。


(中国語原文)
1953年1月29日的清晨,鄧麗君出生於臺灣雲林縣褒忠鄉田洋村,為今日的褒忠鄧麗君幼年故居。父親鄧樞是河北省大名縣大街鎮鄧台村人,是因第二次國共戰爭而隨中華民國政府遷台的國軍軍官,母親趙素桂則是山東省東平縣人。父母以「丫頭」作為鄧麗君滿月前的乳名,鄧滿月後,鄧父請部隊中頗有學問的楊姓軍官,為她取名麗筠,意為「美麗的竹子」。雖然「筠」字應念「雲」音,但家人與鄰居都把「筠」字念成「均」字音(與「君」亦同音),故「鄧麗君」就成為她日後投身歌唱事業的藝名。她在家中排第四,有三兄一弟。

https://note.com/oversea_u/n/n5840981a4f2e

 俊教授 オーバーシー大学 Overseauniversityのブログには、以下の記述があります。この内容が上に引用したWikipediaの記述を元にしたものなのか、Wikipediaの記述が以下の記述をもとにしたものなのか、あるいは2つの根拠はさらに別にあるのかは、分かりません。

幼少期、テレサ・テン(鄧麗君)は「丫頭(アートウ)」という愛称で呼ばれていましたが、生後1か月を過ぎたころ、父親が部隊内で学識のある楊姓の軍人に依頼し、「美しい竹」を意味する「麗筠(リジュン)」という名前を名付けてもらいました。なお、「筠」という字は本来「ユン」と発音されるべきですが、家族や近隣の人々は「ジュン」(「君」と同じ発音)と読んでいたため、「テレサ・テン(鄧麗君)」という芸名が後の彼女の歌手活動で用いられることとなりました。彼女は四人兄妹の第四子で、三人の兄と一人の弟がいます。
(自動翻訳の原文ママ )

https://note.com/oversea_u/n/n5840981a4f2e

 鄧麗君(萌娘百科)では、以下の様に述べられ、父親の鄧樞が名付けたとされています。

(日本語訳)
鄧麗筠という名前は鄧麗君の実父・鄧樞が名付けたもので、「美しい竹」を意味する。しかし多音字の関係で鄧麗筠は鄧麗君となり、これが彼女の芸名となった。

鄧麗君が逝去した後、彼女が埋葬された場所「筠園」はこの由来に因んで名付けられた。


(中国語原文)
鄧麗筠這個名字是鄧麗君的爸爸鄧樞起的,意為「美麗的竹子」;由於多音字的關係,鄧麗yún
變成了鄧麗jūn,所以鄧麗君成了她的藝名。

鄧麗君仙逝後,所安葬的地點筠園就出自於此。

 ここでは、父・鄧樞が「名前を考えた」とは書かれていません。また、冒頭の大学生との会話でも同じです。他の情報にあるように、楊という軍人に考えてもらった名前を、娘の名前として父が採用した、つまり名付けたとも言えます。

 また、今日新聞 鄧麗君本名跟女強人、竹子有關 藝名竟是「大家將錯就錯」的結果には、以下の記述があります。

(日本語訳)
鄧麗君は1953年1月29日、雲林県の三合院で生まれ、四女であった。当時、母親の趙素桂は彼女を「丫頭(お嬢ちゃん)」という愛称で呼んでいた。満月を迎えた後、軍人である父の鄧樞は学識のある上級将校に相談した。その将校は、宋代・元代に女装して科挙の状元となり宰相を務めた奇女子「孟麗君」にインスピレーションを得て、鄧父の娘に「麗筠」という名前を付けた。これは「美しい竹」という意味も込められていた。


(中国語原文)
鄧麗君於1953年1月29日在雲林縣的三合院中出生,排行老四,當時母親趙素桂都以小名「丫頭」稱呼她,直到滿月後,軍人父親鄧樞請教一名較有學問的長官,該軍官以宋朝元代一位女扮男裝考上狀元並擔任宰相的奇女子「孟麗君」為靈感,幫鄧父的女兒取名「麗筠」,也有「美麗的竹子」之意。

今日新聞 鄧麗君本名跟女強人、竹子有關 藝名竟是「大家將錯就錯」的結果

丫頭

 本名が決まるまで、「丫頭」という名前で呼ばれていたようですが、本来、「丫頭」は(親しみを込めて呼ぶ場合の)「女の子」「娘っ子」「お嬢ちゃん」という意味合いです。
 親が子供に、あるいは親族の年長者が親しい若い女性に呼びかける際に、愛称として使われることもあるようで、テレサ・テンに関してはこれが当てはまります。

 テレサ・テンの「丫頭」という呼称について、述べられた文章が、台湾のYahoo!ニュースの「書摘/世界上差一點沒有鄧麗君 幸好鄧媽媽緊急做了這1件事 母愛偉大」にあります。

(DeepLの日本語翻訳を手直ししたもの)
「丫頭」はテレサ・テンの生後1ヶ月前の幼名。華人の習わしでは、幼名が俗っぽく平凡であればあるほど、子供は育てやすいとされる。しかし鄧父と鄧母は、この美しい女の子に「丫頭」は品が足りないと感じた。そこで鄧父は部隊で最も学識のある楊長官を招き、彼女に美しい名前を付けてもらった。楊長官が心を込めて検討した末、「丫頭」に「麗筠」という名前を授けた。「麗」には清らかで美しいという意味が込められている。「筠」は竹の青皮を指し、広く竹の象徴として用いられる。彼女が成長して志を高く清く持ち、謙虚に包容力を持って向上し、人一倍出世することを願ってのことだった。


(中国語原文)

「丫頭」是鄧麗君滿月前的小名,在華人的習俗裡,小名叫得越俗越平凡,孩子會越好養。而鄧爸、鄧媽卻覺得「丫頭」,對這個漂漂亮亮的小女孩來說實在不夠雅。於是鄧爸請來部隊最有學識的楊長官,為她起個漂亮的名字。在楊長官一番用心斟酌下,為「丫頭」取名「麗筠」。麗有清麗、秀美的意涵。而筠則是竹的青皮,泛稱為竹的代表。期望她長大之後,志向高潔,虛懷若谷,節節高升,並且能夠出人頭地。

2025年10月7日PROFILE,Trivia

Posted by diva-teresa