渡辺プロ会報『ヤング』
1974年
6月号
★クローズ・アップ――テレサ・テン
歌唱力抜群!日本で実力発揮!!
欧陽菲菲やアグネス・チャンに負けないワ! と可愛い気炎と
共に海のむこうの台湾からやってきたテレサ・テン。丸ポチャの
キュートなマスクにグンバツの脚線美を売り物に、「今夜かしら明
日かしら」(ポリドール)でデビューして、人気上昇中だ。
(記事本文不明)
第二弾はじっくり聞かせる『空港』
(記事本文不明)
1975年
4月号
《テレサ・テン》
Fan-Interview 80th
日本は小さい頃からの憧れでした!
今月は、初登場のテレサ・テン。台湾にいた時は、ファンクラブの人達とおしゃべりをしたけれど,日本ではこれが初めてだと話していた。日本語もずいぶん上達して、ほとんど意味もわかるという程。
ファン代表の質問にも一生懸命に言葉を探して答え、そのあと必ず,「ワタシの変な日本語わかりますか?」と聞きかえす。そんなテレサも「テレサはキュートでチャーミングですね。」のファンの言葉に「ビューティフルは入らないの?」と冗談もとばすニコニコと笑う彼女にファン・インタビューも和やかに進みました。
テレサ コンニチワ!
川村 いつ日本に帰ってきたんですか?
テレサ 13日です。
金子 足をどうかしたんですか?
テレサ 骨折なの。
八幡 どうして?
テレサ 早く日本に帰りたくて(笑)台北空港の階段で,2階から下まで落ちちゃった。
八幡 痛かったでしょう。泣いたんじゃないですか?
テレサ 痛かったけど、人がいっぱいいたでしょ。恥ずかしいから泣かなかっ
た。子供じゃないもの(笑)
最初ねんざだと思ったの。前も一度ねんざしたことがあったから……。
そしてレントゲン写真を撮ったら骨折だって言われてびっくりした(笑)
八幡 今、ギプスしてるでしょう。それを取ったあとマッサージするんだけど
それがまた痛いんだよ。
テレサ エッ、また痛いの?冗談でしょ
川村 本当に痛いんだよ。
テレサ 私、台湾に帰る(笑)
金子 テレサは泣かなかったんだから大丈夫だよ。それに医者に優しくやってって言えば優しくやってくれますよ、きっと(笑) 久しぶり台湾に帰ってどうでした?
テレサ うん、楽しかった。台湾お正月ね。
川村 台湾のお正月ってどんな事をやるんですか?
テレサ 家族みんなでマージャンやります。それと食事と爆竹。あとは友達と映画を見たり、毎日パーティーだった。
八幡 日本の場合だったらお雑煮を食べたりするでしょ。
テレサ 台湾もオモチよ。向こうのは大きくてケーキみたいね。食べる時にすこしずつ切って、茹でてスープに入れる。お雑煮と似てるね。
オモチすごく太るの。私帰ってもオモチぜんぜん食べてない。でも太っち
ゃった(笑)
川村 テレサはお料理は何が出来ますか
テレサ チャーハン。一番簡単ネ(笑)
金子 おいしい?
テレサ ううん、あんまり(笑)あと、水餃子もすこしお母さんの手伝います。
八幡 何か編み物に凝ってるとか?
テレサ そう。だけど駄目です。
川村 手芸は?
テレサ 小学校の時、エプロン作ったけどあまり上手じゃない。だから自信持ってない。
金子 家族は何人ですか。
テレサ 両親と兄弟5人ね。でもみんな家に住んでない。学校とか仕事があるから。お正月とかみんな集まりますけど普段はお父さんだけ。
川村 テレサが日本にきちゃって,お父さん、寂しいでしょうね。
テレサ そう。たまに手紙出したりね。テレサのレコードも送ってるけど、お父さんぜんぜん意味わからないって。(笑)
八幡 日本へはどんなキッカケで来たんですか。
テレサ 私ね、東南アジアに全部行ったでも日本にまだ来てないね。日本のいろんな事聞いて日本に行きたいって思ったの。歌の勉強もしたいし。それで日本のレコード会社の人と香港で会った時相談したの。わかった? 私の日本語(笑)
金子 わかります(笑)
川村 日本に来るのが夢だったわけですか?
テレサ そう。小さい頃映画見て日本に行きたいと思った。
川村 日本に来て、夢と比べてどうですか?
テレサ ちょっと違う。小さい時映画見たらみんな着物でしょ(笑) 日本に来てみたらみんな洋服着てるもの。
八幡 テレサが日本に来ちゃって台湾のファンの人は寂しいだろうな。
テレサ そう(笑)向こうに帰った時にレコーディングしてレコード出すだけね。私、日本に来てファンの人とこうして話すの初めて。台湾でばファン・クラブの人と一緒によく話した事があるけれど。
川村 向こうではどんな曲を歌ってるんですか。
テレサ 何でも。ポップス、フォーク・ソング、歌謡曲もいろいろ。(台湾は日本のように、演歌歌手は演歌だけ、ポップスはポップスだけ。というように分かれていなくて、何でも歌うのだそうです。)
金子 台湾では日本の曲も歌ってたんですか。
テレサ そう。『港町ブルース』はLPにも入ってます。あと『長崎は今日も雨だった』、『東京ブルース』とか、北京語ですけど。
八幡 演歌は好きですか?
テレサ うん、演歌大好き。
『港町ブルース』台湾で歌っていました。
金子 演歌にはコブシがあるでしょ。むずかしくない?
テレサ 私の自然な声がそうね、だから問題ないよ(笑)
川村 演歌の心わかりますか?
テレサ わかります。
金子 デビューした頃ミニスカートだったでしょう。もう足は見せないんですか?
テレサ もう見せたでしょ。だからいいです(笑)
八幡 でも、カッコイイ足ですね(笑) 何かスポーツをやってたんですか?
テレサ バドミントンね。
川村 カッコイイですね。うまいんですか?
テレサ スタイルはカッコイイイ(笑) でも子供の頃からやってるけど、あまりうまくない(笑) あと水泳がすこし
金子 海で泳ぐんですか?
テレサ プールで。海はちょっとこわいからねェ。
金子 くらげなんか向こうにもいるんですか?
テレサ いるよ。まだ会った事ないけど(笑) それに私、水泳もあまり上手じゃないね。
八幡 スキーは日本で初めてやったんですか?
テレサ そう、この前やりました。
川村 どうですか? 滑れますか?
テレサ 滑れます。でもね、止まらない(笑) 倒れて止まるの(笑)先生も優しくない。誰も助けてくれない。自分で立ってやるの。厳しいね(笑)
金子 ホントッ厳しいですね(笑)台湾は雪は降らないんですか?
テレサ 山の高い方だけ。だから日本で初めて見た。きれいで好きね。でも寒いのちょっと嫌。暖かい方がいい。
*以降の記述は分かりません。
1976年
8月号
巻頭の「納涼特集―グラフ」ページの内の1ページに、取り上げられています。
テレサ・テン
納涼船でキャンペーン
7月16日〝東京湾洋上の夕涼み〟と銘打った東海汽船の納涼船「さるびあ丸」船上で新曲「夜のフェリーボート」のキャンペーンを行なったテレサ・テン。船上で開かれた「ミニ・コンサート」では、船の上での夕涼みを楽しもうと押しかけたお客さんと、終始和やかな雰囲気で、テレサも夕涼みを楽しんでいた―。
当時の初代さるびあ丸(当日の撮影ではありません。)
当日の衣装(『週刊平凡』1976年10月28日号の記事写真)