『週刊現代』 (2020/02/11)

ふたつの中国に引き裂かれた人生

ふたつの中国に引き裂かれた人生

『つぐない』80万枚、『愛人』150万枚、『時の流れに身をまかせ』200万枚。3年連続(’84~’86年)で大ヒット曲を出し、テレサは日本での絶頂期を迎えた。しかし『別れの予感』を発表した’87(昭和62)年頃から訪日回数が減っていく。加えて、チャリティ以外のコンサートは行わないと宣言するなど、台湾や香港でも仕事をセーブするようになった。
「彼女の実弟はその原因を『一種の倦怠感』と表現しました。14歳でデビューして20年間歌い続け、テレサは自分の人生や歌手活動を見つめ直すようになっていたのです。彼女が『本当は自分で作った曲を歌いたい』と私に語ったこともあります」(前出・平野氏)
 そのなかで希望を託したのが、両親の祖国・中国でコンサートを開くことだった。この頃、中国は改革開放路線をとり、テレサの歌も’86(昭和61)年に解禁。彼女自身、「大陸のファンの前で歌うのは社会的に意味のあること」「自分の現状を変えてくれるかもしれない」と考えた。そして、ふたつの中国 (台湾と大陸) が平和的に統一されることを夢見ていた。
 そのときに起こったのが中国での民主化要求デモと、それに対する弾圧だ。自由を愛するテレサは公然と中国政府への反対を表明。’89(平成元)年5月に香港で行われた中国民主化支援コンサートには、「民主萬歳」と書いたハチマキを締めて登場している。しかし6月、天安門広場に集まっ

右ページ・上写真キャプション

天安門事件から4ヵ月が経った’89(平成元)年10月、テレサは新曲『香港』のプロモーションのため、1年ぶりに来日した。平和への願いを込めた歌だったが、ヒットにはいたらなかった

右ページ・下写真キャプション

テレサが担ぎ込まれた病院に恋人が駆けつけたが……
終焉の地となったチェンマイには、フランス人の恋人が同行していた。駆け出しのカメラマンで、2人はパリで出会い、恋に落ちた

ていた学生らを、人民解放軍が武力制圧したのだった。
 強い怒りと探い悲しみにとらわれ、中国で歌うという希望も捨てざるをえなかったテレサは、11月、パリに移り住む。「中国を離れた場所から考えたかった」からだ。
 パリで曲作りやレコーディングは行っていたものの、表舞台に出ることが少なくなり、’91(平成3)年には死亡説が流れる。その後、年に数回、テレビやチャリティコンサートに出たが、同時に持病のぜんそくを悪化させた。
 体調のすぐれない日々が続き、静養でたびたび訪れていたタイ・チェンマイのホテルで’95(平成7)年5月、ぜんそくの発作に襲われた。病院に運ばれる車のなかで、テレサは息を引き取った。
 作詞家で、『つぐない』から『別れの予感』までの4つの大ヒット曲を手がけた、荒木とよひさ氏が振り返る。
「僕がテレサに感じたのは、芯のある母性です。中国の民主化を支援したのもイデオロギーからではなく、自由を求める若者を応援したいという、ある種の母性だったと思う。
 彼女が最後に暮らしたパリで、僕もレコーディングに参加しました。仕事の合間にレストランで一緒に食事をしたとき、僕は生ガキにあたってしまった。点滴を受ける僕を、テレサはひと晩中、付きっきりで介抱してくれました。天使のようだった。その慈愛に満ちた姿が忘れられません」
 果たせなかった恋、そして中国で歌う夢。叶わぬ思いを抱き続けていたからこそ、その歌声は哀切に満ちた。

左ページ・上写真キャプション

テレサは中国の民主化を支援
民主化を訴え、天安門広場を埋めた学生たち。テレサは「私には台湾とか大陸とかは関係なく、すべての中国人のために歌っている」と語り、民主化された中国大陸のステージに立つことを最後まで願っていた

左ページ・中写真キャプション

死亡説が流れるなかでの記者会見
’91(平成3)年、1年8ヵ月ぶりに来日。会見で死亡説が流れたことに触れられ、*泣き出す場面もあった。
 また、台湾政府はテレサを「模範的愛国歌手」とたたえ、広告塔のように利用。彼女は「政府のスパイのように動いている」と噂する人もいた

*注
 このキャプションに間違いがあります。
 来日。会見で死亡説が流れたことに
 触れられ、泣き出す場面もあった。

と書かれていますが、会見で死亡説に触れられた時には会場の記者と共に笑い声を上げています。
 写真に写っている涙をぬぐうのは、香港の民主化が抑えられていることを語ったときです。
 だからこのキャプションは、
会見で死亡説が流れたことに触れられ笑いながら答えたが、香港の現状について聞かれて泣き出す場面もあった。
とすべきだったでしょう。

左ページ・下写真キャプション

墓前にはいまも供花が絶えない
テレサの墓は台湾の中心都市・台北タイペイから車で2時間ほどの場所にある。日本を含め各国からのファンが、いまもたくさん訪れる

2021年12月18日Articles,PROFILE

Posted by teresateng